「信頼感」を醸し出すための挨拶・お辞儀の方法
(本日のお話 1954字/読了時間2分半)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は、朝から「礼法」のレッスンの受講。
またそ1件のアポイント。
夕方から経営者の友人とお食事の後、
夜は、人事系のセミナーに参加でした。
セミナーでは、
『これからの時代をどう生きるか
~東大キャリア教室で1年生に伝えている大切なこと~』
というテーマでお話を聞きましたが、
実際に、どんな風に若者にキャリアを考えてもらうのか、
リアルな話を聞き、非常に勉強になりました。
大人にも活かせそうです。
よりより人事施策について学ばないとな、
と日々思いが募るばかり。
精進します。
*
さて、本日のお話です。
昨日の「礼法」のレッスンを受けたのですが、
その中で、日常行っている”所作(挨拶・お辞儀など)”について、
色々と深い学びをいただきました。
今日は、礼法からの学びと、そこから感じたことについて、
皆さまにご共有させていただきたいと思います。
タイトルは、
【「信頼感」を醸し出すための挨拶・お辞儀の方法】
それでは、どうぞ。
■仕事をしていると、
色々なシーンで「挨拶」をするシーンがあるものです。
特に、
・握手
・会釈
・深いお辞儀
などは日常生活ではよく使うのではないでしょうか。
そして、これらの
「握手」「会釈」「深いお辞儀」など、
”実はなんとなく、雰囲気でやっている”
という方が、ほとんどではなかろうかと思います。
■しかし、昨日の礼法のレッスンでは、
『挨拶にも「プロトコール(国際的なルール)」がある』
といい、へー、そうなんだ、と気づきを得たのでした。
*
例えば「握手」の仕方もそう。
ルールとして、”握手を差し出す”のは
基本、『上から下へ』なのです。
・目上の者から目下の者へ
・女性から男性へ
・年長者から年少者へ
…というように。
(皆さま、知っていましたか?)
また、「お辞儀」の仕方もそう。
これは日本の文化ではありますが、
・「会釈」=15°くらいで簡単な挨拶
・「敬礼」=45°はお詫びの時など。
・「最敬礼」=90°は神様への挨拶(お参りのとき)など
これは色んな考えがあるようですが、
礼法的には、謝罪をするときに「90°直角お詫び」は、
ちょっとやりすぎ、、、と考えるそうです。
そこまで自分を下げる必要はない、と。
最敬礼は、皇室・王族に挨拶するときは、
ひざまずいて、「カーテシー」と呼ばれる挨拶をしたり、
あるいは、神様と同様に偉いと考え、
直角にお辞儀をする、ということもある。
、、、そこには考え方や文化の違いによる、
選択の幅はありこそすれ、
”「プロトコール(国際的なルール)」がある”
このことを学んだのでした。
■そういう視点で見てみると、
面白いもので、色々見えてきます。
例えば、今回のトランプ大統領の訪日の挨拶。
”国の行事”
においては、上記のような考え方に則って、
「挨拶」がなされていることがわかります。
その「何気ない挨拶」にも、
日本国民が、アメリカ国民が、そして世界が注目しており、
『それにどんな意味があるのか?』
を注目している(人もいる)のです。
それを通じて、相手へどんな思いを持っているのか、
どんな思いを表現したいのかのメッセージも、変わるのです。
■どんな時に、どのように使うのかルールがある。
相手へ自分がどう見ているのか、
「自分の基準」ではなく「国際的な基準」として、
伝えるルールがある。
このことを知ることは、実は重要なことだな、と思います。
もしその「ルール」を知らず、
「握手」や「お辞儀」をなんとなくやっているとき、
「いざ」という時に迷うのです。
例えば、
・偉い方とご挨拶するとき
・きちんとした作法が必要とされる時(冠婚葬祭など)
に、「あれ、これでよかったのだろうか?」と、
どことなく不安になる。
そして、どれが正解かわからないので、
”なんだか曖昧な所作”
になってしまう。
すると自信なく見えたり、
信頼が損なわれたりすることもあるかもしれない。
そんなことがあるのではなかろうか、と感じたのでした。
■そして、思うのです。
「1つ1つの所作を、自信を持って行う」
ということは、自信や誇りの表現であり、
それはすなわち、『相手への信頼感』につながるものである、と。
挨拶のときも、コメツキバッタのように、
ペコペコ、どーもどーもと「お辞儀」をするよりも、
美しく、迷いなく、しかし自然に、
一つの動作を正しく行う「お辞儀」であるほうが
「この人は堂々としているな」
「この人は芯が強そうだな」
という印象を与えることは間違いないだろう、
と思うのです。
■そして「1つ1つの所作を、自信を持って行う」。
そのためには、
・その”所作”の背景にある意味や、
・「なぜそうなのか?」というルーツ
を知る必要があります。
例えば、「お辞儀」というものも、
『相手に自分の弱点(首)を差し出す』
ということで「敵意がないこと」を示すことから始まり、
そこから派生して、敬意を示す、
お詫びの気持ちを示す、とつながってきています。
そして、そのような「本来の意味」を知ると、
その「所作の重み」を感じることにも繋がる、
そのようにも思うのです。
■礼法の先生曰く、
【”礼法を学ぶということは、
「日本人としての矜持(きょうじ)」を持つことである】
とのこと。
「矜持」とは、『自分の能力を信じていだく”誇りやプライド”』という意味。
「自信」と「誇り」なのです。
一つ一つの何気ない動作を、
きちんと学び、確信をもって、堂々と行えること。
そして、それが「信頼」へと繋がるのです。
ということで、本日お伝えした一つの例も、
【「信頼感」を醸し出すための挨拶・お辞儀の方法】
として、ひとつ、ご参考になればと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
本日も皆さまにとって、素晴らしい1日になりますように。
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<本日の名言>
攻撃目標一点に行動を集約せよ。
むだな事はするな。
織田信長
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