「絶対悲観主義」から学ぶ、自分を客観的かつ冷静にとらえて、地に足をつけて生きる心構え
(本日のお話 2250字/読了時間2分半)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は早朝から英会話。
午前は、1件の社内ミーティング。
午後は、「7つの習慣」と企業理念を結びつける研修作成のコンサルティングでした。
また夜はお客様と懇親会でした。
(N様、Y様、M様、ありがとうございました!)
*
さて、早速ですが本日のお話です。
自分で言うのも恐縮なのですが、
メルマガを日々書いていると、
「継続すること」について、お褒めいただくことがあります。
すると、どこか調子に乗りそうな自分も、
お恥ずかしながらひょっこり顔を出すことがあります。
そんな時に、ふと先日、
『ストーリーとしての競争戦略』の著者としても有名な
一橋大学の楠木建氏が話されていた、とある話を思い出しました。
そのお話が、
「自分を律する、謙虚になる」
ために役に立つ考えだな、
と思いましたので、
今日はその話について、
皆様にご共有させていただきたいと思います。
タイトルは、
【「絶対悲観主義」から学ぶ、自分を客観的かつ冷静にとらえて、地に足をつけて生きる心構え】
それでは、どうぞ。
■皆さまは、例えば、
「自分が上手くできると感じる」
ことに関して、
調子に乗りそうなときはありますでしょうか?
上述したように、
私はたまーに、そういう気持ちが、
もたげることが最近、ちょこちょこと、
顔を出し始めることがありました。
(本当は大したことないのに、、、です)
世界的ベストセラー『7つの習慣』では、
”謙虚さ” とは、古今東西重要な原則の一つと、
記していますが、たしかにこの”謙虚さ”を、
上手に持ち続けることは、生きる上で大切な原則に思えます。
■そんな「謙虚さ」に関わる話です。
楠木建氏がモデレーターを務めるあるセミナーで、
こんな話をされていました。
内容としては、
「自分は『絶対悲観主義者』だと思っている。
相手からいくらお褒めいただいても
「絶対にそんなことはないはずだ」
と相手の言葉をそのまま鵜呑みにせず、
そんなの建前だ、くらいに思うようにしている」
、、、というようなニュアンスのお話でした。
(記憶を頼りにしておりますので、
詳細の表現は違います、ご了承ください)
■本人ではないのですが、
私なりに、この話について咀嚼して、
大変納得することがありました。
つまり、
「たとえ褒められたとしても、
『純粋にプラスの評価だけ』などはありえない」
くらいに思った方が、
他人の評価と自分の評価の間に乖離を生まずに、
「自分を客観的かつ冷静に見ることができる」
と感じるのです。
■少し話がそれますが例えば、
組織で働くときに、1つの望ましくない事は、
『自己評価と、他者の評価が乖離すること』
かと思います。
しばしば、「360度評価」みたいな、
アセスメント、というかサーベイのようなものが、
研修で行われることがあります。
これは、
自分自身の自己評価と、
上司からの自分への評価と、
同僚からの自分への評価。
それぞれを並べて比べて、
”自己認識と他者認識の乖離を発見し、埋める”
という内容の研修です。
■想像してみるとわかるのですが、
「自分はこんなに頑張っている!」とか
「自分がすごい仕事をしている!」
と”自分では”思っているのに、
周りから見ると、
「別に頑張っていない」
「大した仕事をしているとは思っていない」
と”思われている状況”が、
気づかずに生まれていたとしたら。
そこにはコミュニケーションのズレも生じるし、
「自分を冷静に見られていないイタイやつ」
ともなりかねません。
それは、やっぱり「望ましくはない」のでしょう。
自分を低く見すぎるのもよくはないですが、
それでも、調子にのって自分を見誤るより、
よっぽどよいのでは、と思います。
■その話を踏まえて、
先程の「絶対悲観主義」のお話に戻ります。
「人からどれだけ褒められようとも、
『純粋にプラスの評価だけ』ということはありえないと思う」
という姿勢は、
”相手の褒め言葉の裏にも、
それ以外の何かしらのメッセージがある”
と前提にする姿勢とも言えます。
■例えば、私も冒頭に
「メルマガ毎日すごいですね」
よく言っていただくことがある、とお伝えしましたが、
メルマガについて100%肯定など、ありえないのです。
絶対、配慮して言っていただいている、
このことを理解せねば、と常々思うのです。
人は、口に出すことはごく一部です。
内面では色々な気持ち、感情が絡み合い、
「称賛」と「否定」を同時に持ちうる、
複雑な心を持つ存在です。
ゆえに、100%賛同という単純なことはなく、
「お褒めいただく言葉の裏」にも、
きっと、いや、絶対に、何かしら別の思いもあるはずなのです。
■例えば、お褒めいただいく言葉の、
見えていないもう一つのメッセージとして、
「とはいっても長々と同じようなことを書いてない?」とか、
「とはいっても誤字脱字が多すぎるよね」とか、
「とはいっても行替えが多くて読みづらい」とか、
ネガティブな評価も、
必ず絶対に含まれているはず。
(、、、と、実際に頂いたコメントなので)
口に出して言うと棘があるし、
お互いの関係性で特にメリットがあるわけではないので、
多くの方は、敢えて言わないだけなのでしょう。
■しかし、このメルマガも、
一定の割合で解除者がいらっしゃいます。
おそらく何かしらのネガティブな要素を感じ、
そして去っていかれるわけですが、
(そしてそれは仕方のないことです)
その時に
「メルマガのここがよくない」
「こうはこうしたらどうか」
と提案をくれる人は、極めて稀なのです。
多くの人は言わずに去っていくだけであり、
それが普通なのです。
そして、おそらくその、
”プラスのことはいうけど、
ネガティブなことは言わずに去っていく”、
というのは、日常の人間関係や、
仕事においても、同じ現象が起こっているのでしょう。
ゆえに、
”お褒めいただいた言葉の裏にも、
いくばくかの違ったメッセージ(ネガティブな意見)も、
あるのではないか、いやあるはずだ”
と、
楠木先生の「絶対悲観主義」にも似た感覚を持つことは、
他者の目玉をリアルに手に入れて、
自分を客観的に見る上で大事な心構えではなかろうか、
そのように思った次第。
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<本日の名言>
人は賢明になればなるほど、
ますます腰を低くして他人から学ぼうとする。
ロジャー・ベーコン
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