カナダ日記 vol7 ~最終回:やっぱり一歩踏み出す勇気が大事~
(本日のお話 3256字/読了時間4分)
■こんにちは。紀藤です。
昨晩、カナダから日本に戻ってまいりました。
合計5日間の旅路でしたが、
振り返って、あらためて刺激的で、
楽しい時間だったと感じています。
*
本日は、
これまでのまとめとして、
・カナダと日本を比較して感じたこと
・英語を学ぶことについて
・全体を通じて学んだこと
について、私の短い旅路からですが、
感じたことを皆さまにご共有できればと思います。
タイトルは、
【 カナダ日記 vol7 ~最終回:やっぱり一歩踏み出す勇気が大事~ 】
それでは、どうぞ。
■まず今回旅をした「カナダ」という国。
改めてまとめると、
・新しい国(建国は1867年)
・移民・難民に対して非常にオープンで有名。
・ゆえに国民も多国籍
料理も、あらゆる料理が混ざっており、
違いに対して非常に寛容。
・人口は3000万人。
国民性は非常にフレンドリー
という国でした。
■もう少し細かい話だと、
・完全なるカード社会
→電車代もコンビニも、全部カード。
まるでSUICAのようにタッチしてカードを使います。
200円でもカード決済します。
(そもそも今私が日本で使っている
VISAクレジットカードがタッチで使えると知らなかった!)
・移民国家。最大の都市 トロントは多様性の宝庫。
→3年住めば、カナダ国籍もらえます。
ゆえに、他の国からカナダは来やすい。
毎年20万人移民を受け入れていますが、
国家的な戦略のようにも思えます
・カナダ料理だけではなく、あらゆる国の料理がある
→日本食、イタリアン、フレンチ、中華だけでなく、
アフガニスタン料理、トルコ料理、ドイツ料理、
なんでもあります。それは200以上の移民が集まっているゆえの、
特徴なのでしょう。
という特徴も感じました。
■日本との違いを考えてみると、
日本が
「単一民族でフレンドリー」に対して、
カナダは
「200以上の民族でフレンドリー」
みたいなイメージでしょうか。
安全・安心な国の雰囲気は近いものの、
「単民族」か「多民族」かという視点では、
フレンドリーへのアプローチは異なるようです。
■そして、同時に、
”カナダと比較して、
「日本の良さ」ってなんだろう?”
と考えもしました。
「出身はどこ?」という話に、
必ずというほどなるのですが、その際に
「日本から来ました」
というと、皆、へーっとなります。
月並みですが、
・サムライ
・相撲、
・アニメ、
・京都
など歴史ある文化とともに、
独自の価値観を歩んできた国は、
日本特有のもの。
長い歴史を持つ日本に、
改めて誇らしく思いました。
■また、日本人は、
真面目で、時間を守って、
責任感があって、でもシャイな国民性。
これもまた
「日本人が、自分自身で理解していない強みの一つ」
ではなかろうか、と思いました。
(もちろん、その資質が
暴走してマイナスに働くこともあるので、
注意が必要でもありますが)
■そして、もう一つ感じた大きな事。
それは
「英語を学ぶ意義」
についてです。
実は私、内心どこかで、
「もう英語なんて、
学ぶ意味ないんじゃないか?」
と思っていました。
散々、英語塾にお金を突っ込んでおいて
こんな事を言うのもなんですが、
ここ近年で、劇的な進化を遂げる「テクノロジー」のため、
英語学習に疑問を持っている自分もいました。
■一生懸命、毎週の英語塾のため、
経済雑誌『The Economist』の翻訳をしても、
この半年で「Google翻訳」のほうが、
自分の翻訳より、早くてわかりやすい状態に
なっていました。
「あれ、Google翻訳でよくね?」
と、認めたくないけど、
思っている自分がいました。
翻訳アプリに勝てないのに、
英語を学び続ける理由は、
どこにあるのだろうか?
と思っていました。
■しかし、今回のカナダに行って感じたのは、
『やっぱり英語は(いくら下手でも)
自分の口で言う事が大事』
ということです。
なぜか?
その理由は大きく3つあります。
以下、私なりの解釈ですが、
ご紹介させていただきます。
■まず1つ目。
【1)人のコミュニケーションは「総合力」である】
から。
英語は、もちろん自分の思いを
相手に伝える大切なスキルの一つです。
でも、人は「言葉だけ」で動くわけではありません。
目線、体の傾き、声のトーン、、、
あらゆるところからメッセージを汲み取り、
そして、そこに言葉が重なり、
人は心動かされ、伝わるもの。
これは、どの世界に言っても同じ。
情報をやりとりするだけでなく、
きちんと「伝える」ためには、
”言葉と、しぐさと、声のトーンと、言葉を
全部が合わさった「総合力」”
こそがコミュニケーションであろう、
と思いました。
そもそも、集団で話をしているとき、
自分だけ翻訳アプリ、なんてちょっと寒いです。。。
コミュニケーションは「ライブ感」が大事。
■そして、2つ目。
【2)英語を学ぶのは文化を学ぶこと】
だから。
最初に言葉ありき、と聖書では語られましたが、
「言葉」は思考に影響を与えます。
英語は「I(私は)」という
主語が常にあるので、自然と自分の意見が
明確になる言語だと思います。
また単語一つ一つの背景に、
日本語とは違ったニュアンスがあるもので、
その背景を知ることで、文化を感じることが出来ます。
例えば、
『我慢する』
という日本語。
英語にすると、色々な表現になります。
・stand (暑さ・痛みなど短期的なことに)我慢する
・endure (不景気など長い苦難に)我慢する
・torelate (愚かな行為に)我慢する
・be patient with (改善が見られなくてイライラすることを)我慢する
・control myself (自制が出来ないという意味)我慢でする
というように。
(、、、と、英語塾で習いました)
この思考を学ぶことは
「文化を理解する」ことにも繋がる、
と感じています。
■そして、最後3つ目。
【3)「英語を学んだ努力」自体が価値を持つ】
と思うから。
カナダで出会った、
イラン人のマズダックくんが言っていました。
「自分は、フランス語、スペイン語、
英語、ペルシア語を話すことができる。
ただ、構造が似ていたから学びやすかった。
でも、日本語は英語と構成がぜんぜん違うから、
学ぶの大変だよね。勉強するの大変だったと思う」
と。
その言葉には、尊重と尊敬が感じられました。
(マズダックくんがいい人だった、
というのもあるでしょうが)
ネイティブの人は普通に話せますが、
第二言語としてマスターした人も、
カナダにはたくさんいます。
「英語を学んで身につけた」というのは、
「努力の証明」であり、人の共感、
尊重を集めることにつながるものである、
と感じました。
上記、3つを含めて、
「やっぱり英語は学ぶ価値がある!」
と思ったのでした。
■最後に、まとめ。
上記に始まる多くの気づきを、
カナダで得ることができましたが、
その中でももっと多く得た大きなことは、
【一歩踏み出して、やってみることで、世界が開けたこと】
これが、一番得たものの中で、
すごく大きいものだった、
ということです。
■カナダへも実際行ってみると、
なんとかなりました。
というよりも、ほとんどすべてのことは、
「やってみれば何とかなる」のでしょう。
しかし、行く前は、
「どうしよう、どうしよう」
と内心思っていました。
飛び込めたのは、一縷の
「一歩踏み出す勇気」
のおかげだと思います。
それさえあれば、
実際、現地は皆いい人であるとわかったし、
理解してくれようとするし、
ジェスチャーも含め伝わるし、
出来ないことにも慣れるし、
「なんとかなる」
のです。
そして、行ってみると大きな確率で
「パラダイム」が変わります。
■「パラダイム(ものの見方)」が変わると、
考え方、行動も変わります。
少なくとも私は、
「英語をもっと真剣に取り組む理由」
が生まれ、英語勉強が楽しみにになりました。
何年かけてもスイッチが入り切らなかったのが、
数日間で見つける事ができたように思います。
「英語って勉強じゃなくて、
ツールであり、言葉なんだ」
としみじみ思いました。
海外の友達もできたので、
もっとヒアリングができるようになりたいし、
より深い話ができるよう、ボキャブラリーも増やしたいと思いました。
これからは、英語を、
もっと楽しめる気がします。
■自分の世界から一歩外に出ることは、
「パラダイムを変える賭けに出る」
ようなものです。
パラダイムが変わると、世界の見方が変わり、
自分の可能性も広がっていくはず。
そしてそのためには、一歩踏み出す、
『Courage(勇気)』
こそがやっぱり大事なのだろう、
と思っております。
長文のカナダシリーズ、
お読みいただき、誠にありがとうございました!
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<本日の名言>
挑戦した後の失敗より、
何もしないことを恐れろ。
本田宗一郎(ホンダの創業者/1906-1991)
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