「自分ひとりになってもやる」という気概を持ってこそ
(本日のお話 2143字/読了時間2分半)
■おはようございます。紀藤です。
昨日はWEBにて1件のアポイント。
並びにホームページの作成、読書など。
実はここ数日、今はまだ書けないのですが、
非常に考えることがたくさんあり
駆け出しては、ふと立ち止まる、、、
ということを繰り返しております。
(このメルマガでは、駆けている時をかいているので、
突っ走っているように見えるかもしれませんが)
頭で言い聞かせて、
心と時間で受け入れていく。
どんな悩みや痛み、葛藤も
人はその繰り返しで受け止めることしか
もしかするとできないのかもしれません。
、、、と思いつつ。
*
さて、本日のお話です。
最近、考えていることがあります。
それは、昔からよくよく書籍やや
諸々の事情を成し遂げた人から言われる
「自責の精神」
について。
今日はこの話について、
感じること、思うことについて
皆様にご共有させていただきたいと思います。
タイトルは
【「自分ひとりになってもやる」という気概を持ってこそ】
それでは、どうぞ。
■人に任せつつ、前に進めるというのは、
とても難しいものがあります。
人は思うように動いてくれないし、
かといって、思うように力技で動かしても、
持続可能なものではありません。
(辞めちゃったり、、、とか)
正直、私自身答えが出ているものではなく
多くの、人と共に働いている諸先輩方のほうが、
このような葛藤の答えをお持ちではなかろうか、
とも思っております。
■、、、がとはいえ、1つ。
人を巻き込み、
自主的に動いてもらう上で、
「持つべき姿勢」
はあるだろうと、最近、
私自身の経験から戒めています。
その姿勢とは、
【 全て自分の物語で、
自分に全ての責任がある】
と、心から思うこと、思おうとすること、
ここではなかろうか
と感じるのです。
(もちろん、
「相互に信頼関係があること」が前提ですが)
■経営者の先輩や、
人事コンサルをしている先輩から
頻繁に聞く話があります。
それは
(特に中小企業においては)
「経営者が全てである」
という話。
あれやっといて、
これやっといて。
それはあなたの仕事でしょ、
自分には別の役割があるから。
権威と、給与と、立場と、
相手の責任感に訴えかけて、
表面的に動いてもらうことができたとしても、
本当に相手がコミットしていなければ、
仕事なぞ遅々として進みません。
■もしプロジェクトを持っているなら、
”率いるリーダーがどれだけ本気なのか”
はいわずもがな、
確実に影響しているだろう、
と思います。
■私の話で恐縮ですが、
特に私は妻と共に働いているので、
今の立場から、
つまりあれやこれやと依頼をすることができても、
隙間にある”自分の甘え”というのは、
要所要所で透けて見えているようです。
(お恥ずかしながら)
妻は純粋な人間なので
その自分のスタンスに音叉のように共鳴して
動いているように見えます。
その中で、もし自分が、
たとえ自分だけになったとしても、
それをやり遂げる気持ちを持って
ことに当たっているのか、、、
そんなことが問われているように
(自分の中で)思ったわけです。
■これは、私以外でも、
結構あるように思います。
人は、「皆が何かを成し遂げたい」という
影響力発揮バリバリのタイプばかりではなく、
相手への協力、貢献に燃える人もいるもの。
特に「相手の気持ちへの共感度」の高い人は、
その人が全身全霊で頑張っているか
ボロ雑巾のようになっても進もうとしているか
という部分をみて、
燃えてくれる人もいると感じます。
(が、いかがでしょう)
■誰かの役に立ちたい、とか
仲間と共に働きたい、とか
一緒に成し遂げていきたい、
と言うような「関係性」において
高いモチベーションを感じる人にとってはなおのこと
『自分が本気かどうか』
が伝わるかどうかが
極めて重要ではなかろうか
と改めて思うのでした。
■別立てて法則にもなっていませんが、
あえてまとめるどどうなるかというと、
【 全て自分の物語で、
自分に全て責任がある 】
という姿勢で、
その結果を全て受け止めることが
結果的に人を動かす一つの要因になるだろう、
と思います。
■「自分は精一杯やっている」は、
意外と”勘違いしやすい領域”です。
世界的ベストセラー『7つの習慣』では、
「第一の習慣 主体的である」において、
”自分が影響を与えられる
『影響の輪』の領域に
意識とエネルギーを集中せよ”
といいます。
しかしこの「影響の輪」と言う言葉は、
なんとも抽象度が高く、
なんとでも解釈できてしまいます。
自分が思い悩んでいるこの時間も
「影響の輪」だよね、とか
セールスとして自分の責任を果たしているだから
「影響の輪」に働きかけているとか、
自分は自分なりの精一杯のペースで仕事をしているから
「影響の輪」に働きかけているよね、
とか。
確かに「影響の輪」かもしれないけれど、
それは自分自身の範囲を超えておらず、
ただただ「今の自分ができること」を粛々とやっているだけでは、
本当の意味では「影響の輪」は広がってはいない。
そこに「挑戦」というニュアンスがあってこそ、
だと思っております。
(だから、第2の習慣 終わりを思い描くことから始める、なんですね。
より望ましい姿があっての「影響の輪」でないと、始まらないのです)
■もちろん、どうしようもないこともあるけれど、
それでも、どうにか出来ることも、無数にあるはず。
人は簡単に変えられない。
であれば、自分のせいで、自分が変わる。
ありとあらゆることをやってみる。
【 全て自分の物語である。
自分に全ての責任がある】
そして、これを言い換えると、
『 「自分ひとりになってもやる」という気概を持ってこそ 』
となるでしょう。
この思考はやっぱり大事だよな、
と今しみじみ思っております。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
本日も皆さまにとって、素晴らしい1日となりますように。
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<本日の名言>
ごく小さな穴から日光を見ることができるように、
小さな事柄が人の性格を浮き彫りにする。
サミュエル・スマイルズ(イギリスの作家・医師/1812-1904)
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