「60歳は、人生の折り返し地点である」という物語に生きる
(本日のお話 2354字/読了時間3分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日は、1件のアポイント(オンラインにて)。
ひたすら、ホームページの作成でした。
不安は募る時勢ではありますが、
こんな時だからこそ、
・時間をとって家族との時間を大切にしたり
・自分自身のことをゆっくり考えたり、
・大いに学ぶチャンス
でもあろう、とも思えます。
そんなこんなで、部屋の机の模造紙に、
「このタイミングで一気に仕上げること」を書き出していたら、
・企業導入事例完成
・研修サービスの紹介
・メルマガバックナンバーのアップ
・メルマガサイトの改修
・研修コンテンツのブラッシュアップ
・実施予定の研修の作成
・マーケティングの仕組みを図式化
・アシスタントに依頼できるようプロセスの明文化
・システムコーチングの勉強
※あと英語の勉強(→完全に放置気味、、、汗)
、、、などリストが出てきて
おお、やることはまだまだある、と思っております。
粛々と実施していきたいと思います。
*
さて、本日のお話です。
突然ですが最近、
「オーディオブック」に手を出し始めました。
ランニングをしながら、
お風呂掃除や皿洗いをしながら聞けて、
想像していたよりも使えます。
そのオーディオブックを聞きながら、
とある気づきがございましたので、
皆様にご協力させていただきたいと思います。
タイトルは、
【 「60歳は、人生の折り返し地点である」という物語に生きる 】
それでは、どうぞ。
■『Audible』と言う「ながら読書」のサービスがあります。
様々な本を、
”聴きながら読める(なんか変?)”という、
とても便利なサービスです。
故ピーター・ドラッカー曰く、
”人には読んで学ぶ人と、聞いて学ぶ人がいる”
とのことでしたが
同じ「学ぶ」でも、違うチャネルを使う
(=耳からか学ぶか、目からか学ぶか)によって
学びの浸透の仕方や理解の仕方が
微妙に異なると感じます。
そういった意味でも、
「オーディオブック」とか
「セミナー音源」を試したことがない方は、
試してみてもよいかもしれません。
■さてさて、本題ですが。
そんな『Audible』のコンテンツの中に、
『柳瀬博一のリベラルアーツ入門【教養】』
という対話コンテンツがあり、
東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 教授の柳瀬博一氏と、
60歳にしてライフネット生命を立ち上げ、
現在70歳で立命館アジア太平洋大学の学長である出口治明氏が
「なぜリーダーにリベラルアーツ(教養)が必要か?」
を対談している1時間ほどの内容です。
これがまた、ヒジョーに面白いのです。
■平たく言ってしまえば、
”今の資本主義や効率化、生産性大事、という話は、
「現代のルール」であり、歴史がある話ではない。
しかし、人が古来から繰り返してきたことは
「変わらないもの」である。
人類の歴史(=教養)を知ることで、
俯瞰して、正しい判断ができるようになる”
という話。
(ものすごく抽象的ですけれど)
ただ、リベラルアーツの第一人者である出口治明氏の
わかりやすく具体的なのに、シンプルに語る口ぶりに
思わず引き込まれてしまいます。
■そして、その対話の中で、
以下のようなお話がなされていました。
(※記憶を頼りに書いておりますため、
言葉通りでありません。ご容赦ください)
インタビュアーの柳瀬博一さんが
こんな質問をされました。
「出口さんは60歳にして会社を創業されたわけですが、
いわゆる定年で創業されたことに、躊躇などはなかったのですか?」
というような質問。
対して出口氏は
「そもそも、”定年制度”と言うものが、
構造的に間違っていると思っています。
終身雇用定年制は、成長が前提である
限定された経済環境での仕組みであって、
”人間の人生を考えたときに最適な仕組みではない”のです。
そもそも、現代は、
私たちは20歳で成人とみなしますよね。
かつ、今は人生100年時代と言う。
そうすると、20歳~100歳が大人としたときに、
『60歳は「大人になってからの人生の折り返し地点」』
と言えるんですよね。
そんなようやく折り返しでいよいよだ!という時に、
定年だから、といって力の発揮のしどころがなくなるのは、
それは健全ではないですよね」
、、、というお話でした。
■もう、こんな年齢だから。
もう、2/3終わったから。
今からスタートを切るのは、
遅すぎるから(だから諦めよう)。
人は自分に対して
様々な制約を「思い込み」によって
無意識に課してしまいますが、
その中でも、
『「年齢」こそ一番の思い込みであり、呪縛である』
というのは、正しくその通りでしょう。
■年齢が呪縛である、
というのを逆の視点から見てみると、
歴史を振り返った時に、
明治維新の頃の幕末の志士達は、
吉田松陰29歳
坂本龍馬31歳
近藤勇33歳
土方歳三34歳
などなど若くして命を燃やし
国を変える一端を担った、
この文脈で行けば
「もう40歳にもなるのに、
志も持たず、何もなし得ていない」
というストーリーに身を置くこともできます。
そうすれば「60歳で折り返し」どころではなく、
30歳にもなって何やってるの??
というストーリーになるでしょう。
■ここで言えるのは、
どちらのストーリーが正しいかではありません。
正しい「問い」とは、
【どっちのストーリーで生きたほうが
今の自分にとって、エネルギーが出るのか】
です。
出口氏が語る
「60歳は大人の人生の折返し地点である。
ここからが始まりだ」
という物語を選んだほうが
今の自分にとって良いのか、
あるいは幕末の志士と比べて
「もう30歳、早く、急いで志を立てねば。
もっともっと、前のめりに生きねば」
という物語を選んだほうが
今の自分にとって良いのか。
ここは「選択」であり、
同時に俯瞰して見つめることが大切である、
と思います。
■ちなみに、私の場合は、
ストレングスファインダーで言う
「最上志向」(=もっともっと、さらに上に行かねば)で、
「まだまだ自分は何もできない」
「まだまだ勉強不足だ」
と勝手に凹むことが多いのです。
そんなふうに(自爆的に)凹んだときは、
出口治明さんの言葉に似た物語を思い出すようにして、
「まだまだヒヨッコで当然。
折り返し地点にも行っていない。
勝負は、始まってもいない」
と思うように(言い聞かせて)います。
■とにかく、「年齢の呪縛」はとても大きいものです。
そしてそれは、
”自分にパワーを与えてくれたり、
パワー奪ったりする大きな物語”
です。
自分の前提にあるストーリーは何なのか。
このことを客観的に見つめること。
そして意図的に、
自分を元気づけること。
それこそが、大切なのだろう、
と思っている次第でございます。
皆さまは、ご自身の年齢に、
どのようなストーリーをお持ちですか?
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<本日の名言>
ゆうゆうと焦らずに歩む者にとって長過ぎる道はない。
辛抱強く準備する者にとって遠すぎる利益はない。
ラ・ブリュイエール(フランスノ思想家/1645-1696)
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