「反省のない、智慧なきポジティブ思考」は、ただの阿呆である
(本日のお話 1553字/読了時間1分半)
■こんにちは。紀藤です。
昨日日曜日は、終日ひたすら読書。
合計3冊の読了。
改めて、本の価値を再認識しております。
これを機に、読みまくりたいと思います。
*
さて、本日のお話です。
今日は、懺悔の日誌です。
猛烈に反省をしたい(否、せねばならない)、
と思うことがありましたので
今日はその内容について、
皆様に気づきと学びを
ご共有させていただければと思います。
タイトルは、
【「反省のない、智慧なきポジティブ思考」は、ただの阿呆である】
それでは、どうぞ。
■”望ましくないこと”とは、
なぜだか重なるものですね。
詳細は語れないのですが、
前々から私が持っていた悪癖
(=具体的には事務作業を後回しにする)が、
このタイミングで連鎖し、
ミスへと繋がり、大切な今のタイミングで
「利益損失」
という形のダメージとして現れました。
自爆です。
自業自得で、誰も責めることはできません。
ただただ自分が悪いだけ。
■ただ、何よりも怖いのが、
皆さまにも思い当たるかもしれませんが、
このようなことは今までも、
「ごめんごめん、気をつける」
と散々行ってきたことであった、
ということ。
こういった軽そうな言葉が
自分の口から出る場合、大体の場合、
”薄っぺらく、実は反省していないことがほとんど”
というやつです。
■「ポジティブに捉える」というのは、
気持ちを精神的に前向きに、
健全に持っていく上で良いこともあります。
ただ、
”ポジティブ思考の弱みづかい”
はやっぱりあるのです。
妙な前向きさで
やらなくて良いミスを何度も繰り返し、
人と自分に損失を与えているのに、
「大丈夫、大丈夫!何とかなる(なんとかなってないのに)」
を繰り返すのは、ただの阿呆です。
時間と機会のムダ。
生産的に挑戦をしてるのではなく、
同じステージの同じ穴に落ちているのは、
学習能力がない、救いようがない愚か者です。
(はい、全部私に向けて言っています、、、)
■「ごめんごめん、気をつける」。
その内面の状況を表すと、
1、頭では、気をつけた方がよいと思ってはいる
2、誰かに迷惑をかけた、と思ってもいる
3,でも本当は「大したことない」と思っている
ということ。
これでは当然、
起こるべくして、失敗が起こるのもやむなし、
です。
「ポジティブ思考」が、
「ネガティブ」に働いているのです。
■では、どうすればいいか。
何が足りないのか。
それは、敢えて言うのであれば、
「けちょんけちょんに凹むこと、傷つくこと」
であろうと思います。
感情のダメージが弱い。
本当にバカ、恥ずかしい、
自分は何をやっとるんだ。
「痛み」を気持ち悪くなるくらい噛みしめてこそ
ようやく「反省」となるのだろう、
、、、と思います。
■人は(というか私は)
なんとも愚かなもので、
そう語っている矢先から、
感じたはずの”痛み”を、
忘れつつあります。
だからこそ、今回、
このやる必要のない愚かなミスを、
しっかりとその苦味を、気持ち悪さを
得られたはずの、でも失った価値を反芻しすること。
何度も何度も、
スルメのように、味がなくなるまで
”痛み”をあえて、噛みしめること。
そうやって、
毎日、その痛みを繰り返し思い出し、
不快感を全身で刷り込んでいく。
”自分の傷口に塩を塗って塗って塗りまくって、
もう勘弁、こりごりだ”
と思えるくらい
「痛み」を甘んじて受け止めること、
そうして初めて改善があるのかもしれない、
と思っております。
■そのために、私も、
今回の利益損失で買うことができたであろうものを、
16項目に渡って書き出してみました。
そして、最後に
”お前の怠慢だよ”
と書いて締めました。
(自分のこと)
結構、胸に来ます、、、
■やらなくて良いミスは、やっぱりあります。
経験しなくてもいい過ちも、やっぱりあります。
それを繰り返すのは
””ポジティブ思考の弱みづかい”です。
今回、自分自身のミスを通じて、
猛烈なる自戒をこめて
【「反省のない、智慧なきポジティブ思考」は、ただの阿呆である】
と、自分に言い聞かせたい、
そう思っているとともに、
前向きな陽転思考は、
意識的に抑えるのも大事だろう、
と思った次第です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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<本日の名言>
進歩とは反省の厳しさに正比例する。
本田宗一郎
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