今週の一冊(番外編)『ポジティブ心理学の挑戦 ~”幸福”から”持続的幸福”へ~』(1)
(本日のお話 2944字/読了時間3分半)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は2件のアポイントと打ち合わせでした。
GW明けに、友人の経営者を交えて、
ある「座談会企画」を行うことになりました。
また後日ご案内いたしますのでぜひお楽しみに!
*
さて、本日のお話です。
コロナになってから積読状態になっていた、
"名著と言われているけれどサクッと読めない重厚系の本"を、
じっくり読む機会が増えています。
実際、そのような本は学びが深くて、
「!」という驚きとともに、
なんでもっと早く読まなかったのか、、、
と積読をしていた自分を棚上げして、
思ってしまうこともしばしば。
■そして、また出会ってしまいました。。。
今日は、毎週日曜日にご紹介している
『今週の一冊』コーナーの番外編ということで、
一つ今読んでいる名著から、
学びをご共有させていただければと思います。
タイトルは、
【今週の一冊(番外編)『ポジティブ心理学の挑戦 ~”幸福”から”持続的幸福”へ~』(1)】
それでは、どうぞ。
■以前から、私の中で、
ずっと引っかかっている葛藤というか、
矛盾のようなものがありました。
それは、「幸せな人生」という
ちょっと大きなテーマについて、です。
■この話を説明するにあたって
思い出すのが、ある私の親友。
彼は本当にいつも幸せそうで、
「そのままでOKだよ」
「毎日楽しめば良いんだ」
「無理しなくて大丈夫」
といつ何時も心から言っています。
そこに何の自己矛盾も、
他者から見た嘘くささもありません。
骨の髄からの純粋な
素晴らしきポジティブ思考。
■そんな彼を見ていると、
「いいなあ」と憧れとともに、
こうも思うのです。
「自分も、彼のように
毎日楽しめばいい、そのままでOK、
無理しなくて大丈夫、と言えるようになったら
本当に、幸福なのだろうか?」
と。
■答えはわかりませんが、
自分の体感覚として、
「何もせず、ありのままでよい」
「今を楽しめばよい」
という感覚だけでいることが
”幸せ”と”充実”にどうしてもなじまず、結局、
・100キロウルトラマラソン
・トライアスロン
・メルマガ毎日配信
など、なんだかMっぽい企画に
身を投じていくことになっています。
■それは、なんでしょう、
自分の中での”満足度の形”が、
ちょっと疲れはするのですが、
「自分を拡げるプロジェクト」
「何かに没入する修行の旅路」
のような刺激物によって
生きている感、命を燃え上がらせている感、
すなわち「自分なりの満足度と幸福」を見出している、、、
と感じていたのでした。
■「そのままでよい」
「今を楽しめばよい」。
とっても、素敵な考えです。
「チャレンジしつづける」
「昨日の自分を超え続ける」。
なんだか、聞いていて暑苦しいです(苦笑)。
本当は温かい、お日様のもとで、
”幸せ”の感覚を毎日味わえれば
それに越したことはない。
しかし、そうありたいけど、そうもなれない
狭間にいることで、
「チャレンジし続けることでしか
満足を感じられない(と感じる)自分」
とは、なんとも生きづらい選択を
しているのではなかろうか、
と感じていたのでした。
そしてずっと、
その「葛藤や矛盾」のような感覚、
あるいは「幸せな人生に対する問い」を持ち、
生きておりました。
■そして思います。
結局、
「『幸せ』とは一体何なのだろうか?」
と。
■そんな疑問を持つ中で
先日紹介され偶然出会った本が、
この、
『ポジティブ心理学の挑戦 ”幸福”から”持続的幸福”へ』
の著書なのでした。
■さてこの著書は、
アメリカの心理学会の会長であり、
ペンシルバニア大学心理学部の
マーティン・セリグマン教授が書いた書籍です。
彼は、心理学部の教授であり、
「理論」として再現性があるものを追求します。
(学問ですからね)
本文でも興味深いことに
セリグマンは以下のように語っています。
(ここから)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
私は実のところ「幸せ」という言葉が大嫌いだ。
幸せという言葉はあまりにも乱用されていて、
ほとんど意味を成さない言葉となってしまっている。
科学には使えない言葉だし、
教育、セラピー、公共政策、
あるいは単に自分の生き方を変えるなど、
実践的な目標に対しても役に立たない。
ポジティブ心理学における第一歩は、
この『「幸せ」の一元論』を解消して、
幸せをもっと使える言葉にすることだ。
幸せについて理解するにはそれなりの理論が必要となる。
※本書より引用
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(ここまで)
■うーん、いいですね。
自己啓発と理論は一線を画する感じがします。
期待ができそうです。
ちなみに、上記に書かれていた、
『「幸せ」の一元論』とは、
「人間のあらゆる活動は幸せのためにある」というように
人間のあらゆる動機が、結局はたった一つのものに帰着するという考え方、
のことを意味します。
セリグマンは、
人間のやることはすべて「幸せ」になるためか、というと、
そんな単純なものではない、と言っています。
また、「幸せ」という言葉にも、
それを構成するあらゆる要素があるはず。
それを「理論」として形にしたいと思い
そしてその『幸せの理論』を、
・心理学の見地から
・感覚ではなく理論的に
・かつ実現可能なように
まとめ、
そして一般向けにも分かりやすく書かれた本が、
『ポジティブ心理学の挑戦 ~”幸福”から”持続的幸福”へ~』
なのです。
■では、何が書かれているのでしょうか?
まず、セリグマンは、
「幸せ」という言葉について探求をします。
そして、
”「幸せ」という言葉は問題がある"
と指摘する所から始めます。
明るい感じ、快活な感じ、元気、笑顔、、、。
幸せという言葉は
すぐにこれらの明るいイメージと結びつくものの、
それが「人の選択に影響をどう影響を与えるか」には
明確に説明ができない、とします。
かつ、明るい気持ちがあれば
充実した人生かと言うと、
そういうわけでもなさそうだ。。。
■ゆえに、その探求の先に、
”「幸せ」→「幸福理論」へと一歩進んだ理論”
へと展開していきます。
ちなみに、
幸せより一歩進んだ「幸福理論」とは、
”幸せを3つの異なる要素”に分けて分析するものでした。
その「幸福理論」とは以下のものです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「幸福理論」の3つの要素
1)ポジティブ感情(楽しい、歓喜、恍惚感、心地よさなどの快の人生)
2)エンゲージメント(フロー、時が止まる感覚、充実した人生)
3)意味・意義(自分よりも大きいと信じるものに属して、そこに仕える生き方)
※これらの3つの要素が「人生の満足度」を決めるとする。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
■「幸福理論」によると、
ただ、気持ちいい、楽しい、心地よい、
だけが「幸せ」を決めるものではなく
・フロー、没入感を感じられたり(=エンゲージメント)、
・自分が大切だ、意味があると思う仕事やプロジェクトに
人生を捧げると感じていること(意味・意義)、
これらのことも相まって、
「人生の満足度」を定義する、
としています。
■つまり、この理論だけでも、
冒頭に私がお伝えしていた、
私の「幸せ」に対する違和感が
少し拭えたように感じがします。
「今のままで大丈夫」
「毎日楽しめばいい」
その感覚、「幸福理論」の視点からみると、
「1)ポジティブ感情」にのみフォーカスをしている
ということになります。
■しかし「幸福理論」から考えると
その他にも、大切な要素があります。
同時に、私にとっても大事なのは、
それがたとえしんどい事、ドキドキすることでも
「没入感・フローの体験」(=エンゲージメント)
があり、
「大事だと信じることのために突き進むこと」(意味・意義)
があると、やっぱり
「うわー、今めちゃくちゃ命燃やしているわ」
という「人生の満足度」と感じて仕方がないのです。
(私の場合、です)
ゆえに
「ありのままで大丈夫」「今を楽しもう」の
一点突破のポジティブ感情だけで
自分の人生の満足度を高められるものではない、
とも気づき、自分が幸福を感じやすい、
上記3要素の配合比率があるなあ、と感じたのでした。
■、、、と、ここまで
アツく語っておいてなのですが、
実はセリグマンはこの
”「幸福理論」にも不備があった(!)”と
と続けています。
そして、
セリグマンはより発展させた形での
『ウェルビーイング理論』
へと発展させ、更に理論として隙がなく、
より計測可能なものに展開していくのでした。
■ということで、だいぶ長くなりましたので
「幸せ」→「幸福理論」→「ウェルビーイング理論」
の『ウェルビーイング理論』については、
また明日に続けます。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
本日も皆さまにとって、素晴らしい1日となりますように。
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<本日の名言>
私が科学研究を行うのは、
自然の不思議を理解したいという抑え難い願いからです。
それ以外の感情が動機というわけではありません。
アルベルト・アインシュタイン(ドイツの物理学者/1879-1955)
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