コロナ禍で気づく「世界には”生産性”に関する名言が見当たらない」という事実から思うこと
(本日のお話 2501字/読了時間4分)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は、企画書の作成、
ホームページの調整など。
また、10キロのランニングを挟んで、
夜はシステムコーチングのトレーニングでした。
*
さて、本日のお話です。
在宅で仕事をすることが
一つの選択肢となってきた昨今
「生産性が下がりそうで不安」(怠けてしまうのではないか)
=管理職の不安に多い傾向
「むしろ集中できて生産性が上がって快適」
=一方、一般職はこう感じている傾向あり
という「生産性」というキーワードで、
いくつか注目されている新聞記事をしばしば目にします。
そんな記事を見つつ、今回、
コロナ禍に考えさせられていることと、
普段からうっすら思っていた疑問がリンクして、
ふと思うことがございました。
本日はそのお話を、
皆さまにご共有させていただきたいと思います。
タイトルは、
【コロナ禍で気づく「世界には”生産性”に関する名言が見当たらない」という事実から思うこと】
それでは、どうぞ。
■ずっと前から、
薄々気づいていたけれども
なかなかメルマガに書くタイミングがないことがござました。
それは「生産性」とは
本当に重要なのか、
ということついてです。
■現代はものすごく忙しくなりました。
テクノロジーは進んで、
どんどん便利になっているはずなのに、
まずます忙しさを感じるという、
不思議な矛盾を抱えていた人も
いらっしゃるかと思います。
例えば、平均的な知的労働者は、
・1日に送受信するメールの数: 110通
・1つの作業に集中できる時間: わずか11分
・1日で、不必要な中断とその埋め合わせに費やす時間: 28%もの時間
という結果がありました
(フランクリン・コヴィー調べ)
もちろん、1990年代の
「24時間働けますか?」的な時代に比べれば、
労働時間も少なくなっているものの、
それでもなお、
”追い立てられている感”
があったのは、おそらく
私だけではないような気もします。
(そして、それがコロナ禍により、
在宅勤務を余儀なくされ、業務が要素分解されたことで、
良くも悪くも、“間の仕事”が削減されたり、
中段が減ったりして、ゆとりが出てきたのではないかと)
■そして、もう一つ、
「通勤」についてもそうです。
昨年の話ですが、
ふと不思議に思ったエピソードもあります。
私は自分で経営をしているので、
自分で調整をして仕事ができます。
去年の6月頃でしょうか。
朝7:30頃、通勤ラッシュ時に
荒川沿いを東京湾に向かってランニングをしていました。
すると荒川の河川にかかっている橋に
都営新宿線と東西線の地下鉄が、
荒川をわたる形で千葉方面からやってくる様子が見えました。
電車が前後の車両感覚の影響か、
橋の上で止まっています。
そして、その止まっている電車に
ふと目を凝らすと、はちきれんばかりの人が寿司詰めになっていました。
それはまるで苦役列車のよう。
それを遠巻きに見た時に、
まるで、都心の外に働く人が小さな箱に乗せられて強制的に
運ばれているように見えて、
「この状態は、普通じゃないよな、、、」
と感じたことを覚えています。
一生懸命、使命感を持って働かれている一方、
満員電車が好き、という人は一人も聞いたことがないので、
やっぱり全体としては、異常だったのではないか、
と今あらためて思うのです。
(これも、コロナ禍により、
通勤がなくなった人で同じように感じている人も
もしかするといらっしゃるかもしれません)
■現代人の多くが、
・「できるだけ多くのことを達成して」
・「より良いサービスを生み出し」
・「生産的に働く」
(そしてお金を稼ぐ)
ことを、必然的に求められているのが、
「資本主義のルール」かと思います。
■ただ、本当にそれが
ものすごく大切かと言うと、
実際どうなのだろうか、、、
そんな
『現代のルール(資本主義や生産性)に
問いを投げかけているのがコロナ禍』
ではないだろうか、
と思えて仕方ありません。
(実際、PM2.5や温暖化指数が少なくなっているようですし、、、)
そして、同じように感じている人も
中にはいるのであろうとも思っております。
■また、これまでメルマガを
2200号以上書いてきました。
メルマガは、その最後を
「世界の名言」で締めるという
お決まりのパターンで続けてきました。
よって、私の家には必然的に
「名言集」がたくさんあり、
世の中の偉人賢人たちの「名言」は
紀元前のソクラテスから始まり、
現代に生きる経営者ビル・ゲイツまで、
2200号分の幅広い名言を見て、
そして引用してきました。
■、、、しかし、
いつからか気づいていたことが、
「生産性(=より短く、より多くのことを達成すべし)
という内容の名言はみたことがない」
ことでした。
・時間の価値を知らないものは、生まれながらに栄光に向いてはいない
(ヴィーヴナルグ/フランスの思想家 1715-1747)
・大事をなすには寿命が長くなくてはいけない
(勝海舟/幕末の志士 1823-1899)
・休みたいのなら、なぜいま休まない?
(ディオゲネス/古代ギリシャの哲学者 BC412-323)
みたいな
「時間の大切さ」「見失っていることを取り戻す」
というメッセージはたくさんあっても、
・「できるだけ多くのことを達成して」
・「より良いサービスを生み出し」
・「生産的に働く」
ことを、“普遍的な大事なこと”としている名言がない、
(あるのかもしれませんが、あまり見たことがない)のは、
人が求めている本当に大切なこととは、
その「生産性」にはないのでは、、、とも思ったのです。
■そして、そんな文脈で
「改めて何が大事か?」と考えた時に、
それは名言を見る度に見つけられる
「人と人の繋がりが生み出す価値」
(=違いを認め、歩み寄ることの大切さ)
とか
「自分の心身を磨き、健やかに過ごすこと」
(=食事や運動を通じた、自らの健康への意識)
または、
まさにこれから問われるであろう、
「自分が何を残したいのか、自分のミッションは何か」
(=自分が何のために働き、どう生きていくのが幸せか定義する)
こそが重要であり、
今回のコロナ禍はそれらのことについて、
我々に問いを投げかけているのではないだろうか、
そんなことを感じたのでした。
皆さまは、この「コロナ禍」は
これまでのルール、仕事、働き方に
どのような“問い”を投げかけていると思われますか?
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<本日の名言>
全ての偉大な真理は、
最初は冒涜の言葉として出発する。
バーナード・ショー(イギリスの劇作家/1856-1950)
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