「劣等感と友」がくれるもの
(本日のお話 2525字/読了時間3分)
■こんにちは。紀藤です。
昨日は、システムコーチングの実施。
合計8名の方に30分ずつインタビュー。
また、その他システムコーチングについて
2件のアポイント。
夜は、システムコーチングの
実践勉強会でした。
システムコーチング祭りの1日でした(笑)
おかげさまで、たくさんの方に
システムコーチングを実施させて
いただく機会をいただいております。
あと2組募集しておりますので、
ご興味がある方はぜひ以下URLより
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また、昨日よりご案内させていただいた
ストレングスファインダーのワークショップ。
ありがたいことに着々と
お申し込みをいただいております
7月25日で集合研修は少し早かったかな
と若干の懸念しておりましたが、
良い人数で開催ができそうです。
定員になり次第締め切りといたしますので
ご興味がある方は、お早めにどうぞ!
「自分の見えない強み」に気づく
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さて、本日の話です。
今年の3月から、
システムコーチングの資格を取得すべく
この学びに常に片足を突っ込んでいます。
そして最近改めて、
この場に飛び込んだことは
良い時間だったなと思っています。
今日はその思いと気づきについて、
皆様にご共有させていただければと思います。
タイトルは、
【「劣等感と友」がくれるもの】
それでは、どうぞ。
■学びにおいて、
圧倒的に投資対効果が高いものは
「高額セミナー」
です。
…なんてのっけから言うと
急に怪しい勧誘のメルマガみたいに
なってしまいましたね(汗)
実際、これは
セミナー販売者の
ポジショントークとして
聞こえそうですが、
事実そうでもある、
と思っています。
■私もこれまで
1,000万円以上自己投資を
してきましたが
私が言えることがあるしたら
「高価な学びの場」
(100万円以上の学び)
は、一生モノになると
感じています。
(あるいは
「膨大な精神的負荷を
かけた学びの場」
であれば、高価でなくても
同じ効果があります)
■では、これらの
「高価な学びの場」から
我々が得られることとはなにか?
それは、
『劣等感と友』
であると思っています。
*
1つ、私の例です。
今学んでいる
システムコーチング。
投資する金額も(合計約200万円)
投資する時間も(合計約200時間)
と結構なもの。
そんなところに来る仲間達(=友)。
弁護士、経営者、プロコーチ、
会社の要職を務めている方。
定年後の第二の人生を
責めるために覚悟を持った方。
彼ら/彼女らは
非常に才能があり賢い。
情熱もある。
人格も能力も凄い。
ゆえに、大変刺激になります。
時に周りの凄さと
自分を比べて、
凹むこともあります。
その感覚を敢えて
言葉にするのであれば、
『凄い、ハンパない!
とても真似できない!と思う、
尊敬の念を込めた、
健全なる劣等感』
と言えそうです。
■私の好きな名言で
こんな言葉があります。
『人というものは、自分自身よりも高く、
優れた物差しを見つめる心がない限り、
決して、自分を変えようなんて思いもしない』
(トライオン・エドワーズ)
私はメルマガを書いていると
「すごいですねー」と言って
いただけることもありますが、
自分視点から見れば
全くそんなことはないのです。
自分が既に習慣化したことについて、
小さな積み重ねの喜びはあっても
"成長感"は、さほどないもの。
■思うに
“人は自分の人生の冒険物語を
ひたすらプレイしている”
のではないかと。
比べるのは、
過去に自分がプレイしてきた
自分の軌跡、ストーリーです。
戦ってきたモンスターなのか
挑戦した試練の数々なのか。
過去の自分との比較でしか
”人生の達成感”は
ありえないと私は思っています。
■では、他者の関わりは何か?
というと、
”誰かが真剣に、
その人自身の人生の冒険物語”
を、本気で全力で
プレイしているのを見て、
「ああ、自分もゆるゆる
スライムばかり
倒していても仕方ない」
と刺激を受けること。
そして、自分なりの
”未知なる新大陸”に向けて
航海を進めよう、と思えること。
ここに、「友」の価値
が1つ、あると
私には思えるのです。
■同時にその「友」には
”自分の姿”を映し出します。
人知れず戦っている姿、
友が積み重ねてきた見えない、
弛まぬ努力を想像して、そこに自分を照らし合わせ
「劣等感」を感じることもあります。
*
告白しますが、
私のコンプレックスに、
「学歴に誇りがない」
ことがあります。
社会人になってから、
慶応出身です
東大です、京大です
という方と会うと内心で
胸の奥にチクリと
痛むものがありました。
その痛みを言葉にするならば、
“自分がその時出来たかも知れない可能性を
真剣に追求しなかった後悔”
あるいは、
“自分が憧れるけれども
手に入らない未知なる才能”
が近いかも知れません。
その人がどう、ではなく、
・己の可能性を追求できなかった後悔
・己の命の使い方を絞りきれない自分
を投影させているのです。
言い換えるのであれば
「劣等感」というのは、
自分の中にある
消化しきれていない部分に向き合い、
消化をさせてくれるための
1つのチャンスを与えてくれている、
とも言えますし、
”自分がこれからの自分の人生の物語を
力強く、後悔しないように生きるために
問いを投げかけてくれているもの”
なのでしょう。
■、、、とつらつらと
思うところを記述してしまいましたが、
もし上記の文章に
多少なりとも共感することが
あるのであれば、
”「劣等感と友」と出会える場”
を意図して求めることは
自分にとってプラスになるはず。
自分の人生の冒険を
真剣に生きるための
カンフル剤になると思います。
そしてそのために、
「高価な学びの場」を
1つ利用するのもいいでしょう。
自分が自分の人生の物語を
力強く、後悔しないように生きたい。
そんなことを
最近改めて問うているこの頃です。
そしてその大切なメッセージを
『劣等感と友』
が教えてくれていると
感じている次第です。
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<本日の名言>
自分の姿をありのまま直視する、
それは強さだ。
岡本太郎(芸術家/1911-1996)
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