なんてことない普通な1日を、良き1日に変える習慣とは?
(本日のお話 2336字/読了時間4分)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は4件のアポイント。
ならびに、3件の個別コーチングの実施でした。
オンラインにすると
とことん時間を詰め込むことができますが、
移動がないので肉体の疲労が少なく、
待ち時間もありません。
”お客様とお会いし、
何かしらの価値を提供する”
という営業的な観点で見ると、
今回のコロナ禍は
「生産性の爆発である」
とも思えてきました。
本当に、こんなにわかりやすい
変化の只中にいることは
むしろなかなかないことだよなあ、、、
と希少さを感じ始めております。
*
さて、本日のお話です。
最近、「7つの習慣」の話を
熱く書きまくっていたため、
通常版のメルマガを書くことを
すっかり忘れておりました。
そんな中、久しぶりに
メルマガを書くことを通じて
「メルマガ(日記)を書くことの効能」
に思いを馳せておりましたた。
今日はこのお話について
思うところを皆さまに
ご共有させていただければと存じます。
タイトルは、
【なんてことない普通な1日を、良き1日に変える習慣とは?】
それでは、どうぞ。
■皆さまの中にも、
日記やブログ、SNSなどで
日々の思考などを発信している方
いらっしゃるかと思います。
私もメルマガもそうですが、
”陰山手帳”という手帳を
フランクリン・プランナー風(7つの習慣の手帳風)に
勝手にアレンジをして、使っていますが
その手帳の中に
『”今日成し遂げたこと”を書く』
という項目があり、そこで日記を書いています
■その手帳には、そのまま
「今日何を成し遂げたのか」を書くのですが
実際に書いてみると不思議なもの。
ちょっとだけ、
「うん、今日は充実した1日であった」
という感じがするのです。
無理矢理でも言葉として記載すると、
その言葉が意味を持ち、
「成し遂げた1日感」が生まれてきます。
(ちょっとだけ、ですけど)
■ちなみに、
もっとレベルを上げた別のやり方もあります。
それは、「ポジティブ心理学」の理論による
【うまくいったことエクササイズ】
というもの。
やり方はこれまたシンプル。
1,今日うまくいったことを3つ書く
2,それがどうしてうまく言ったのか理由を書く
以上。
これをひたすら続けよう、
という内容です。
ちなみに、記述内容は
どんな些細なことでも、
重大なことでも、どちらでもよいです。
例えば、”些細なこと”で言えば
1,うまくいったこと
→ 「夫が仕事帰りにアイスを買って帰ってくれた」
2,どうしてうまくいったのか
→ 「夫は気が利く性格なので」あるいは
「自分が買って帰ってきて、と連絡したので」
あるいは”重大なこと”で言えば、
1,うまくいったこと
→ 「姉が健康な赤ちゃんを出産した」
2,どうしてうまく言ったのか
→ 「姉は妊娠中にきちんと生活を送っていたから」
みたいな例です。
(※参考:『ポジティブ心理学の挑戦』(セリグマン))
■このエクササイズ、
「ポジティブ心理学」の理論による、
実際の被験者を使っての研究で証明された、
効果があるものです。
この
『うまくいったことエクササイズ』を続けると
直接的、間接的に関わらず
”自分の人生にポジティブな事が起きている”
ことに自覚的になっていきます。
すると、
”人は落ち込むことが少なくなり、
人生の幸福度が高まる”
効能があるそうです。
起こったことは同じでも、
そこに対する「解釈」を変えるだけで
人生がハッピーになる。
■そして最後は、
私の個人的な話となりますが、
「紀藤のメルマガ」
も、上記の2つと同じ。
、、、というより、
その強化のバージョンと感じています。
(書き手=すなわち紀藤にとって)
このメルマガの構成とは、基本
”日々自分が考えたこと、
自分の身に起きたことを振り返り、
抽象度を高めて
皆さまの役に立てるように
学び」の意味づけを与えてお届けする”
という形でお届けしています。
■何か色々書いていますが、
正直言えば、私の身に、
毎日事件が起こるわけでもないし、
大したことが起こっていない毎日も
ものすごーくいっぱいあります。
ただ、ポイントは、
”大したことがあろうがなかろうが
そこに「意味づけ」をして
他者が価値と感じていただけると思うレベルで
お届けをしようと試みる”
というプロセスを
日々、紀藤の頭の中で踏んでいる、
ということ。
このプロセスそのものが、
”自分(紀藤自身)にとって
1日にプラスの意味付けをもたらしてくれる”
のです。
■ゆえに、メルマガ発信をした直後、
己の身に何が起こるかと言うと、
”自分がめちゃめちゃ
ポジティブな気持ちになっている”
という心理的作用が働くのです。
■そんなことを含めて、
何がいいたいのか、というと、
それは、
【「良い1日であった」と決めるものは、
結局、自分の解釈である】
ということ。
ぱっと見、特筆すべきことが
何もなかった1日に見えても
何かあったはず、と解釈してみる。
何気ない日常の間にあった、
小さな気付きや、ふと考えた思索や
新しい発見を虫眼鏡、否、マイクロスコープで
拡大して見て、「ものすごい発見であった!」と意味を与えてみる。
そして、それを
日記でもブログでもメルマガでもよいので
書いて言語化する。可視化する。
ふわっとしたものを
言葉によって明確にし、杭を打ち込む。
■そうすると、その結果
たとえ、なんてことない普通な1日でも、
「今日も学びある1日であった」とか
「今日も思索を深めた1日だった」とか
「今日はリラックスの大切さを認識した1日だった」
というように、
「ああ、今日も良い1日であった」
という意味づけが生まれる、
そのように思うのです。
ということで、コロナ禍で
なんだか鬱々としている、、、という方は、
「1日に良質な解釈をもたらす、日記を書くこと」
オススメいたします。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
本日も皆さまにとって、素晴らしい1日となりますように。
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<本日の名言>
すべての日が、
それぞれの贈り物を持っている。
マルティアリス(古代ローマの詩人/40-102頃)
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