過去にえぐられた何気ない一言が、自分の心をセーブしている
(本日のお話 2192字/読了時間3分)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は3件のアポイント。
ならびに、1件のシステムコーチングの実施。
また、妻の誕生日だったので
もんじゃ焼きを一緒に食べに行きました。
美味しゅうございました。
*
さて、早速ですが本日のお話です。
昨日「英語をストップする」という話を書きましたが、
多くの方から激励のメッセージをいただきました。
ありがとうございます。
そして、今回の「英語勉強をストップする」
という葛藤を通じて
自分自身に内省を続けることで
気づくことがありました。
今日は気づきを、皆様に
ご共有させていただければと思います。
タイトルは、
【過去にえぐられた何気ない一言が、自分の心をセーブしている】
それでは、どうぞ。
■発信するのには、
勇気がいるものです。
それは評価や判断をされるから。
特に、
自分が本音で心の深い部分を
露出した話を伝えた時は、
特に繊細になっているもの。
そんな時に、
キツいフィードバックを
もらったりすると、その一言が
人の心を一気に
追いつめることもあります。
(だからフィードバックは、
信頼できる人から貰わないと、
ただの凶器になってしまうこともあります)
■昨日メルマガで
「英語勉強を一旦ストップする」と
語ると決めたプロセスにおいて、
自分も自分の心と向き合い、
葛藤を経て、出てきた気づきがありました。
それは結局
”自分の中にある恐れ”
でした。
■私の場合、
それを深く深く深ぼっていくと、結局
『自分が真剣にやっていることを
否定されることの恐ろしさ』
ここに行き着きます。
本気でやっている、
本気で信じていることを、
鼻で笑われる、
意味がないと言われる、
サムいと言われる。
これは私だけではなく、
おそらく多くの人が同じではないかと。
もちろん人によって違いはあるかもしれませんが、
深い部分では大人でも心は脆く、
繊細な子供のようなものだと
私は思っています。
そしてそれは実は、
時間が立っても、心のカサブタとして
依然と内側に留まり続けるものである、
とも思っています。
■本気でやっていないことなら、
別に否定されても構わないのです。
心が露出をしていないから。
しかし、自分が
”心底大事だと思っていて、
全力で伝えたことが
無下に否定されたとき”
は、ダメージが大きい。
その時は気にしないふりをしても
あるいは忘れたようでいても
ずっとその痛みが心に残リ続ける、
そんな繊細な生き物が人ではないでしょうか。
■私の場合、
日々のメルマガや研修をやっていますが、
その中で過去言われたことがある
ダメージがある言葉、
かつ今なお刻まれている言葉を
思い返してみました。
*
例えば、こんなものがあります。
(痛みを堪えつつ、、、汗)
{綺麗事で、表面的で、薄っぺらく
こんなメルマガを送っているあなたは
イタい人ですね}
という言葉。
(、、、いたいいたい)
あるいは、こんなもの
{時間が大事と言っている割に、
同じことを滔々と語るのは
言っていることとやっていることが違う。
◯◯のメルマガを読みなさい}
という言葉。
(あいたたた)
あるいは研修中に話をした
想いの載せたメッセージに対して、
{全然、意味わかんないんだけど(苦笑)}
(隣の人に対して)ねえ、わかった?}
と一笑に付されたとき、などなど。
■なんというか、大人なので
その時はリアクションをしない
(というか動揺にしないように抑える)のですが、
「全力で心を露出している時に
否定される、一笑に付される」
ときは、
そのダメージはインパクトが大きく
細く長く心に陰を落とし続けるものなのだ…
と自分でも認識をしたのでした。
■そして、そのような
心の奥底にある
繊細な部分が傷ついた経験とは、
今の自分の行動に制限をかけているものです。
それは他人からしたら
大したことがないように見えるものでも、
他者が意識せず言った言葉でも、
他者の意図は関係なく、
自分の中に陰を落とすもの。
■「受け取った自分が傷ついた」
という事実が一番重要。
そして、もしその行動から
解き放たれる事を考えるのであれば、
『その傷ついた経験が自分の行動に制限をかけている
と「自覚的になる」こと』
が、”痛み”を包含して
新たに一歩踏み出すための
最初のステップではないかと思います。
■昨日のメルマガで、
「英語勉強をストップする」
とタイトルに書いた時
”周りがどう思うか”
”ダサいと思われないだろうか”
という恐さがよぎりました。
そしてその恐さのふたを
玉ねぎの皮を向くように一つずつ
開いていくと、
そこにあるのは、
”心を露出した無防備な状態で
傷つきたくない”
という感情に行き着くことに
気が付きます。
■しかし、恐れているだけで
何もしなければ、
それは挑戦もなく、
結果、新しい可能性も開けず、
自分の人生に対する
不義理を働いていることになります。
…と、すると、
世の中には傷つく可能性が
溢れているかもしれない。
というか実際そう。
それでも
”自分の根源的な恐れ”に対して
自覚的になり、
その恐れも包含した上で
一歩を踏み出していくこと。
それが、
自分が人として成長していく
旅路のステップなのではないか、
と思います。
痛みを感じつつ、
前に進む姿は、人に勇気を与えるもの。
そんなことを思った次第です。
私も、恐がりつつも
そろそろとまた一歩、
踏み出していきたいと思います。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
本日も皆さまにとって、素晴らしい1日となりますように。
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<本日の名言>
世界には、君以外の誰も歩むことができない唯一の道がある。
その道はどこに行き着くのかと問うてはならない。
ひたすら進め。
フリードリヒ・ニーチェ(ドイツの哲学者/1844-1990)
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