メールマガジン バックナンバー

2323号 2020年6月30日

過去にえぐられた何気ない一言が、自分の心をセーブしている

(本日のお話 2192字/読了時間3分)

■おはようございます。紀藤です。

昨日は3件のアポイント。
ならびに、1件のシステムコーチングの実施。

また、妻の誕生日だったので
もんじゃ焼きを一緒に食べに行きました。

美味しゅうございました。



さて、早速ですが本日のお話です。

昨日「英語をストップする」という話を書きましたが、
多くの方から激励のメッセージをいただきました。
ありがとうございます。

そして、今回の「英語勉強をストップする」
という葛藤を通じて
自分自身に内省を続けることで
気づくことがありました。

今日は気づきを、皆様に
ご共有させていただければと思います。

タイトルは、

【過去にえぐられた何気ない一言が、自分の心をセーブしている】

それでは、どうぞ。

■発信するのには、
勇気がいるものです。

それは評価や判断をされるから。

特に、
自分が本音で心の深い部分を
露出した話を伝えた時は、
特に繊細になっているもの。

そんな時に、
キツいフィードバックを
もらったりすると、その一言が

人の心を一気に
追いつめることもあります。

(だからフィードバックは、
信頼できる人から貰わないと、
ただの凶器になってしまうこともあります)

■昨日メルマガで
「英語勉強を一旦ストップする」と
語ると決めたプロセスにおいて、

自分も自分の心と向き合い、
葛藤を経て、出てきた気づきがありました。

それは結局

”自分の中にある恐れ”

でした。

■私の場合、
それを深く深く深ぼっていくと、結局

『自分が真剣にやっていることを
否定されることの恐ろしさ』

ここに行き着きます。

本気でやっている、
本気で信じていることを、

鼻で笑われる、
意味がないと言われる、
サムいと言われる。

これは私だけではなく、
おそらく多くの人が同じではないかと。

もちろん人によって違いはあるかもしれませんが、

深い部分では大人でも心は脆く、
繊細な子供のようなものだと
私は思っています。

そしてそれは実は、
時間が立っても、心のカサブタとして
依然と内側に留まり続けるものである、

とも思っています。

■本気でやっていないことなら、
別に否定されても構わないのです。

心が露出をしていないから。

しかし、自分が

”心底大事だと思っていて、
全力で伝えたことが
無下に否定されたとき”

は、ダメージが大きい。

その時は気にしないふりをしても
あるいは忘れたようでいても
ずっとその痛みが心に残リ続ける、
そんな繊細な生き物が人ではないでしょうか。

■私の場合、
日々のメルマガや研修をやっていますが、

その中で過去言われたことがある
ダメージがある言葉、

かつ今なお刻まれている言葉を
思い返してみました。



例えば、こんなものがあります。
(痛みを堪えつつ、、、汗)

{綺麗事で、表面的で、薄っぺらく
こんなメルマガを送っているあなたは
イタい人ですね}

という言葉。
(、、、いたいいたい)

あるいは、こんなもの

{時間が大事と言っている割に、
同じことを滔々と語るのは
言っていることとやっていることが違う。
◯◯のメルマガを読みなさい}

という言葉。
(あいたたた)

あるいは研修中に話をした
想いの載せたメッセージに対して、

{全然、意味わかんないんだけど(苦笑)}
(隣の人に対して)ねえ、わかった?}

と一笑に付されたとき、などなど。

■なんというか、大人なので
その時はリアクションをしない
(というか動揺にしないように抑える)のですが、

「全力で心を露出している時に
否定される、一笑に付される」

ときは、
そのダメージはインパクトが大きく
細く長く心に陰を落とし続けるものなのだ…

と自分でも認識をしたのでした。

■そして、そのような

心の奥底にある
繊細な部分が傷ついた経験とは、
今の自分の行動に制限をかけているものです。

それは他人からしたら
大したことがないように見えるものでも、

他者が意識せず言った言葉でも、
他者の意図は関係なく、
自分の中に陰を落とすもの。

■「受け取った自分が傷ついた」
という事実が一番重要。

そして、もしその行動から
解き放たれる事を考えるのであれば、

『その傷ついた経験が自分の行動に制限をかけている
と「自覚的になる」こと』

が、”痛み”を包含して
新たに一歩踏み出すための
最初のステップではないかと思います。

■昨日のメルマガで、
「英語勉強をストップする」
とタイトルに書いた時

”周りがどう思うか”
”ダサいと思われないだろうか”

という恐さがよぎりました。

そしてその恐さのふたを
玉ねぎの皮を向くように一つずつ
開いていくと、

そこにあるのは、

”心を露出した無防備な状態で
傷つきたくない”

という感情に行き着くことに
気が付きます。

■しかし、恐れているだけで
何もしなければ、

それは挑戦もなく、
結果、新しい可能性も開けず、

自分の人生に対する
不義理を働いていることになります。

…と、すると、
世の中には傷つく可能性が
溢れているかもしれない。

というか実際そう。

それでも
”自分の根源的な恐れ”に対して
自覚的になり、

その恐れも包含した上で
一歩を踏み出していくこと。

それが、

自分が人として成長していく
旅路のステップなのではないか、

と思います。

痛みを感じつつ、
前に進む姿は、人に勇気を与えるもの。

そんなことを思った次第です。

私も、恐がりつつも
そろそろとまた一歩、
踏み出していきたいと思います。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。
本日も皆さまにとって、素晴らしい1日となりますように。

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<本日の名言>
世界には、君以外の誰も歩むことができない唯一の道がある。
その道はどこに行き着くのかと問うてはならない。
ひたすら進め。

フリードリヒ・ニーチェ(ドイツの哲学者/1844-1990)

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