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2372号 2020年8月18日

”壮大な「自分劇場」を創造し、勝手に凹むという寸劇”が「悩み」

(本日のお話  1777字/読了時間3分)

■おはようございます。紀藤です。

昨日は2件のアポイント、
ならびに3件の個別コーチングでした。

またYouTubeを撮影してからというもの、
YouTubeを見る視点が

「どうやったらわかりやすく伝えられるのか?」
「魅力的な動画はどこが違うのか?」

という観点が入って面白さを感じています。

やっぱり自分が参戦すると(まだ厳密にはしていませんが)
見え方が変わるんだな、と思った次第。

これからの自分自身の変化が
とても楽しみです。



さて、本日のお話です。

昨日『リーダーシップと出会う瞬間』という
書籍をご紹介させていただきました。

その中で、印象的かつ、
多くの人が陥りがちな罠である

「あれこれ悩んでしまう」

ということについて、
面白い話が書かれていました。

その比喩の「自分劇場」という話が
参考になるなと思いましたので、皆さまに
ご共有させていただければと思います。

タイトルは、

【”壮大な「自分劇場」を創造し、勝手に凹むという寸劇”が「悩み」】

それでは、どうぞ。

■悩み。

人生の中の
大きな命題の一つですね。

悩みには色々なものがありますが、
その中心的なものは、

「周りにどう思われるだろうか?」

と過剰に心配してしまう、
というやつではないかと。

これは頻出の「悩み」のケースのように思います。

そして、皆さまにも、
思い当たることあるのではないでしょうか?

■はい、私はあります。

例えば、ごく最近の私。
(というか一昨日の話)

「こんなことしたら
こんな風に思われるんじゃなかろうか?」

を過剰に心配したパターンだと、

「自分がYouTubeなんてやったら
周りの人が”イタいヤツ”とか
思われないだろうか」

とか、

「自分が面白いと思った鉄板ネタを話したら
同業の人から、何ネタを勝手に
流出させてるんだ、と思われないだろうか」

とか、

「ああ、こんな話、堂々として
この人のレベルはこんなものか」

みたいに思われるんじゃないか、
いやだなあ、どうしようかなあ、

みたいな悶々とウロウロする、
という心配がありました。

■、、、がお気づきの通り、
読まれている皆さまからすると、

(紀藤のYouTubeなんて)「まるでどうでもいい話」

なわけです(笑)

これは卑屈になっているというのではなく、
現実、そうである、という話をしています。

そもそも人は、当たり前ですが

「自分の人生が一番重要であり、
誰かの失敗や成功など、
(実は全くというほど)気にしていない」

のが”普通”なのです。

■例えば、皆さまにとっても
「人生の一大イベント」みたいなこと、
あると思います。

それは、

結婚、出産、
離婚、再婚
転職、営業成績が達成したorしない
出世したorしない
失業したorしない

など、自分にとって
物凄く重要なこと、あると思います。

ただ、それらのことは

身近な人や直接利害がある人であればまだしも、
(その場合、「自分のこと」になりますので)

周りの多くの直接利害がない人にとっては
誰かの重要な人生の一大イベントも

日常のワンシーンの中の、
更にワンシーンでしかなく

車窓から見える田園風景のように、
あっという間通り過ぎていってしまうもの、

それが現実です。

■とすると。

一言で何が言えるかと言うと、
とどのまり、

「誰も自分のことなど気にしていない」(!)

ということであり

同時に

『自分のことは基本、
自意識過剰気味になるもの』

ということでしょう。

このことを前提に、

「あれこれ思い悩む」

という行為を考えてみたら
いかがでしょうか?

■それがYouTubeだろうが、
転職だろうが、その他のあれこれ始める際に、

「これをしたら、山田さんは、
これこれ思うのではないだろうか?」

「川中さんは、ちょっと否定的で、
ネガティブなコメントを言いそうだ」

「濱口さんは、いつも前向きだから
応援してくれそうだ」

「谷本さんは、あれこれおせっかいを焼いて
アドバイスをしてきそうかも」

、、、

と、頭の中で、
誰がどんな事を思うだろうか
誰がどんな発言をするだろうか
賛成か、反対か、

など考えて、

ああでもないこうでもないと
思い悩んだととしても、

実際「その人」にとっては
(上記で言えば、山田さん、川中さん、濱口さん、谷本さん)
にとっては実は大したことではないのです。

■すると、その一連の”悩み”とは、

【自分の頭の中の壮大な「自分劇場」』の中で
勝手に想像を拡げて、凹む、悩んでいるだけ】

となっている可能性も、
十分にあるのだろう、

と思うわけです。

■「取り越し苦労」という言葉があります。

その言葉の意味は、

”どうなるのか自分ではわからない将来のことを
あれこれ考えて、無駄な心配をすること”

と説明されています。

ポイントは「無駄な心配」なのです。

そして基本、起こってないことを
あれこれ想像して悩みすぎるのは

かつそれを自分劇場の中で
ルーペのように他者の気持ちを大きく見積もり、
拡大してみてしまうのは、

「無駄な心配」

となっている可能性がありそうです。

■ゆえに、ある程度考えて、

しかしそれ以上前に進まない、
同じことをループしているだけ

と感じたのであれば、

それは

【”壮大な「自分劇場」の上で勝手に凹むという寸劇”】

をしているのかもしれない、

と、自らに問い自覚してみることが、
「無駄な心配」「余計な悩み」をストップする上で、
大切なことではなかろうか、

そのように思った次第です。

起こっていないことは考えない。
やってみなけりゃわからない。
まず行動、ですね。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。
本日も皆さまにとって、素晴らしい1日となりますように。

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<本日の名言>

悲観主義者はあらゆる機会の中に問題を見いだす。
楽観主義者はあらゆる問題の中に機会を見いだす。

ウィストンチャーチル(イギリスの政治家・作家/1874-1965)

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