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2373号 2020年8月19日

「人生というゲームは、レベルが低いほうが楽しめる」というストーリー

(本日のお話  2556字/読了時間4分)

■おはようございます。紀藤です。

昨日は1件のアポイント。
また4件の個別コーチング。

夕方からはPoints of Youという
ツールを使ったワークショップの
体験会に参加してまいりました。

(Yさん、素敵な機会をありがとうございました!)



さて、本日のお話です。

昨晩、ワークショップの終了後、
小規模の懇親会を行いましたが、

その際に聞いたお話が
「私たちの人生を楽しむためのスタンス」

についての示唆を与えてくれるなあ
と思ったのでした。

今日はそのお話の共有とともに、
気づきと学びを、皆さまに
お伝えさせていただければと思います。

タイトルは、

【「人生というゲームは、レベルが低いほうが楽しめる」というストーリー】

それでは、どうぞ。

■某一部上場企業で、
かつ多くのサービスを日本に導入した
イノベーティブな会社の人事の方のお話。
こんなお話を聞きました。

「今の社長は本当に凄い。
ただ、上がりきっている。

年齢も60歳を超えて、
その方自身、会社を創業されて成功した。
いくつものサービスを世に送り出して、
日本の社会に影響を与えた。

経済的にも、名声も、
十分すぎるほど得切ってしまっていると感じる」

「外から見ると、
現在は後の人に、育てたビジネスを
どう渡していくのか、ということを考えているよう。

そのような場でやることはまだまだあり
ものすごく価値があるとも思うけど、

まだまだ「何者でもない」人と
一緒に会社をやっていきたいという自分も感じる」

というお話でした。

■つまり、

”「あがりきっている安定感」と、
「成長をしていく過程の楽しさ」を比べた時に、
どちらがより充実感があるのだろうか”

という問いが
このメッセージには含まれている、

そのようにも感じられます。

安定か、挑戦か。

それはもちろん、
どちらか一方だけではなく、
どちらも大事なものです。

ただ、この話に続く全体での話は、

『挑戦というプロセスを”楽しむ”のが
とても大事だよね』

という話で、すこぶる
盛り上がったのでした。

■その中で、
「プロセスを楽しむ」というのは、
どういうことか、と考えた時に、
こんな話が上がりました。

それは、

『人生はゲームみたいなもの』
(ドラゴンクエストとか、ファイナルファンタジーなど)

という話です。

■一部のゲーム世代の方にしか
分かりづらい話かもしれませんが、
少し例え話をさせてください。

ロールプレイングゲームが好きな人は
なんとなくわかると思うのですが、

「面白いゲームは長く楽しみたい」

という気持ち、あるものです。

そして、面白いゲームというのは、
クリアすればいいというより、
その「旅路のプロセス」が楽しいのです。

特に、プレイを初めて、
前半から中盤くらいが
一番、面白かったりする。

■なぜ、前半中盤が楽しいのか?

その理由を考えると、
超序盤の全くわからないところを経験し、

村から出て、仲間を集め、
外の世界がどんどん広がり
新しい武器や魔法を覚えていくのが
前半から中盤だからでしょう。

ゲームの全体像がわからない中で
少しずつルールが見えてきて、

「未知との遭遇」と
「自分のレベルアップ」を

ガンガン繰り返し、
発見の楽しさと成長の喜びを
全身で感じながらゲームをする。

そのステージがまさに
「ゲームの前半から中盤」のイメージです。

■これが、ゲームの終盤、
ラスボス直前になってくると、

・自分がレベル99。
覚える魔法や武器なども、
ほとんど揃えてしまっている。

・ゲームの世界観、ルールも知り尽くして
だいたい予測の範囲内で動いていく。

・そして(世界の中の)ほとんどの敵は、
一撃で倒せてしまう。

、、、というように、
ゲームの世界を知り尽くしてしまっている。

すると、確かに敵は倒せる。

ただ、ゲームの世界で
自分がピラミッドの頂点にいるがゆえに、
世界が予測可能なものになって、
その分「未知との出会い」が少なくなります。

■確かに強い。

でも、前半中盤と終盤を比べ、
何か物足りない、、、。

「あれ、始めたばかりの、
前半の方が面白かったんじゃね?」

そんなことを、
ふと思ったりするのです。
(という私の少年時代の回想でした)

■そして、この話を冒頭の
話と重ね合わせてみます。

例えば、

「上場企業の創業者、完全なる成功者」。

ゲームで言えば、

・上がりきってしまった感のあるすごい人。
・レベル99。色んな武器を持っている
・全体の中でごく少数

であり、

「普通の人」

・まだまだ何者でもない人。
・レベル10。
・全体の中での大多数の人

と、強引に見立ててみます。

■すると、たしかにいわゆる
「成功者」の方ができることも多く、
能力も凄まじく、尊敬できるところも多々ある。

しかしながら、
当人の感覚としては、

『「何者でもないところから、
何者かになっていくプロセス」の方が、
プレイをしていて実は楽しい』

ということ実際あるのではないか、
と思ったわけです。

だったら、凡人最高。
全然未熟な自分は、
人生というゲームをこれから楽しめる余白が、
たくさんあるじゃないか。

人生、もっともっと
未知との出会い、成長の喜びを
感じるステージがたくさんありそうだ。

、、、と捉えることも、
可能になるのではないか、

と思うこともできるのです。

■、、、というように、

私(紀藤)の想像、
妄想、思い込み、解釈、ストーリー
で語ってみました。

多分現実はそんなに単純な話ではなく、
成功者はまた違うステージで
チャレンジし続けているでしょうし、

世界は広いので、いつまでも楽しめる
もっと複雑性の高いゲームだと思います。

ただ、私がゲームに例えて

「前半の方が楽しめるものだ」

というストーリーを持つことで

未熟な自分を肯定的に捉えることができて、
かつ、踏み出しづらい足に力を入れて、
明日へと歩く力になるのであれば、

そんな妄想・解釈・ストーリーも
どんどん使えばいいのです。

■世の中は変化していきます。

すると、やっぱりそれ以上のスピードで
自分自身を進化させられたほうが
結果的に、安定・安心も手に入りやすくなるでしょう。

すると、

「ある程度の安心」
(=生活を守れる、家族を守れる
ある程度の選択肢が選べる経済状況)

が担保できれば、

あとは、

「まだまだゲームの前半だ」

ということで、

能力がない、
人格も成熟していないと感じる自分を祝福し

未知との出会い、
成長の喜びを存分に味わっていく、

そして

【人生というゲームは、レベルが低いほうが楽しめる】。

というストーリーで
毎日を攻めつつ、生きることができたら、
達成感や自分の可能性と出会いながら、
充実した日々を送れるのかもしれないな、

そのように思った次第です。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
本日も皆さまにとって、素晴らしい1日となりますように。

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<本日の名言>

同じ戦法を手堅くとり続けるということは、
一見するともっとも安全なやり方のように思えるが、
長いスパンで考えたら、実は最もリスキーなやり方なのである。

羽生善治イ(将棋棋士/1970)

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