「人生というゲームは、レベルが低いほうが楽しめる」というストーリー
(本日のお話 2556字/読了時間4分)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は1件のアポイント。
また4件の個別コーチング。
夕方からはPoints of Youという
ツールを使ったワークショップの
体験会に参加してまいりました。
(Yさん、素敵な機会をありがとうございました!)
*
さて、本日のお話です。
昨晩、ワークショップの終了後、
小規模の懇親会を行いましたが、
その際に聞いたお話が
「私たちの人生を楽しむためのスタンス」
についての示唆を与えてくれるなあ
と思ったのでした。
今日はそのお話の共有とともに、
気づきと学びを、皆さまに
お伝えさせていただければと思います。
タイトルは、
【「人生というゲームは、レベルが低いほうが楽しめる」というストーリー】
それでは、どうぞ。
■某一部上場企業で、
かつ多くのサービスを日本に導入した
イノベーティブな会社の人事の方のお話。
こんなお話を聞きました。
「今の社長は本当に凄い。
ただ、上がりきっている。
年齢も60歳を超えて、
その方自身、会社を創業されて成功した。
いくつものサービスを世に送り出して、
日本の社会に影響を与えた。
経済的にも、名声も、
十分すぎるほど得切ってしまっていると感じる」
「外から見ると、
現在は後の人に、育てたビジネスを
どう渡していくのか、ということを考えているよう。
そのような場でやることはまだまだあり
ものすごく価値があるとも思うけど、
まだまだ「何者でもない」人と
一緒に会社をやっていきたいという自分も感じる」
というお話でした。
■つまり、
”「あがりきっている安定感」と、
「成長をしていく過程の楽しさ」を比べた時に、
どちらがより充実感があるのだろうか”
という問いが
このメッセージには含まれている、
そのようにも感じられます。
安定か、挑戦か。
それはもちろん、
どちらか一方だけではなく、
どちらも大事なものです。
ただ、この話に続く全体での話は、
『挑戦というプロセスを”楽しむ”のが
とても大事だよね』
という話で、すこぶる
盛り上がったのでした。
■その中で、
「プロセスを楽しむ」というのは、
どういうことか、と考えた時に、
こんな話が上がりました。
それは、
『人生はゲームみたいなもの』
(ドラゴンクエストとか、ファイナルファンタジーなど)
という話です。
■一部のゲーム世代の方にしか
分かりづらい話かもしれませんが、
少し例え話をさせてください。
ロールプレイングゲームが好きな人は
なんとなくわかると思うのですが、
「面白いゲームは長く楽しみたい」
という気持ち、あるものです。
そして、面白いゲームというのは、
クリアすればいいというより、
その「旅路のプロセス」が楽しいのです。
特に、プレイを初めて、
前半から中盤くらいが
一番、面白かったりする。
■なぜ、前半中盤が楽しいのか?
その理由を考えると、
超序盤の全くわからないところを経験し、
村から出て、仲間を集め、
外の世界がどんどん広がり
新しい武器や魔法を覚えていくのが
前半から中盤だからでしょう。
ゲームの全体像がわからない中で
少しずつルールが見えてきて、
「未知との遭遇」と
「自分のレベルアップ」を
ガンガン繰り返し、
発見の楽しさと成長の喜びを
全身で感じながらゲームをする。
そのステージがまさに
「ゲームの前半から中盤」のイメージです。
■これが、ゲームの終盤、
ラスボス直前になってくると、
・自分がレベル99。
覚える魔法や武器なども、
ほとんど揃えてしまっている。
・ゲームの世界観、ルールも知り尽くして
だいたい予測の範囲内で動いていく。
・そして(世界の中の)ほとんどの敵は、
一撃で倒せてしまう。
、、、というように、
ゲームの世界を知り尽くしてしまっている。
すると、確かに敵は倒せる。
ただ、ゲームの世界で
自分がピラミッドの頂点にいるがゆえに、
世界が予測可能なものになって、
その分「未知との出会い」が少なくなります。
■確かに強い。
でも、前半中盤と終盤を比べ、
何か物足りない、、、。
「あれ、始めたばかりの、
前半の方が面白かったんじゃね?」
そんなことを、
ふと思ったりするのです。
(という私の少年時代の回想でした)
■そして、この話を冒頭の
話と重ね合わせてみます。
例えば、
「上場企業の創業者、完全なる成功者」。
ゲームで言えば、
・上がりきってしまった感のあるすごい人。
・レベル99。色んな武器を持っている
・全体の中でごく少数
であり、
「普通の人」
・まだまだ何者でもない人。
・レベル10。
・全体の中での大多数の人
と、強引に見立ててみます。
■すると、たしかにいわゆる
「成功者」の方ができることも多く、
能力も凄まじく、尊敬できるところも多々ある。
しかしながら、
当人の感覚としては、
『「何者でもないところから、
何者かになっていくプロセス」の方が、
プレイをしていて実は楽しい』
ということ実際あるのではないか、
と思ったわけです。
だったら、凡人最高。
全然未熟な自分は、
人生というゲームをこれから楽しめる余白が、
たくさんあるじゃないか。
人生、もっともっと
未知との出会い、成長の喜びを
感じるステージがたくさんありそうだ。
、、、と捉えることも、
可能になるのではないか、
と思うこともできるのです。
■、、、というように、
私(紀藤)の想像、
妄想、思い込み、解釈、ストーリー
で語ってみました。
多分現実はそんなに単純な話ではなく、
成功者はまた違うステージで
チャレンジし続けているでしょうし、
世界は広いので、いつまでも楽しめる
もっと複雑性の高いゲームだと思います。
ただ、私がゲームに例えて
「前半の方が楽しめるものだ」
というストーリーを持つことで
未熟な自分を肯定的に捉えることができて、
かつ、踏み出しづらい足に力を入れて、
明日へと歩く力になるのであれば、
そんな妄想・解釈・ストーリーも
どんどん使えばいいのです。
■世の中は変化していきます。
すると、やっぱりそれ以上のスピードで
自分自身を進化させられたほうが
結果的に、安定・安心も手に入りやすくなるでしょう。
すると、
「ある程度の安心」
(=生活を守れる、家族を守れる
ある程度の選択肢が選べる経済状況)
が担保できれば、
あとは、
「まだまだゲームの前半だ」
ということで、
能力がない、
人格も成熟していないと感じる自分を祝福し
未知との出会い、
成長の喜びを存分に味わっていく、
そして
【人生というゲームは、レベルが低いほうが楽しめる】。
というストーリーで
毎日を攻めつつ、生きることができたら、
達成感や自分の可能性と出会いながら、
充実した日々を送れるのかもしれないな、
そのように思った次第です。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
本日も皆さまにとって、素晴らしい1日となりますように。
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<本日の名言>
同じ戦法を手堅くとり続けるということは、
一見するともっとも安全なやり方のように思えるが、
長いスパンで考えたら、実は最もリスキーなやり方なのである。
羽生善治イ(将棋棋士/1970)
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