その人そのものを認める「存在の承認」こそが、隠れていた可能性を引き出す
(本日のお話 2353字/読了時間3分)
■おはようございます。紀藤です。
昨日は明朝から
10キロのランニング。
その後メルマガを書いて、
1件のアポイント。
午後からは休みをいただき、
妻と共に家族旅行ということで
GoToトラベルを利用して
都内の旅館に移動でした。
(家から30分の場所ですが(汗))
*
さて、本日のお話です。
コーチングをやっていて
大切なキーワードに、
「”結果の承認”だけでなく、”存在の承認”をすること」
というお話があります。
どういう話かと言うと、
「結果が出た→ すごい!よくやったね」
も、もちろん結果を出すことへの
インセンティブを与えるのですが
一方、”条件付きの承認”は、
結果を出している間は認める、
(出さなくなったら認めない)
というメッセージとなる、ともいわれています。
一方、”存在の承認”とは、
「結果うんぬんではなく、
その存在の自体への承認(いてくれることへの感謝)」
というものであり、
結果出す出さない関係なく、
その人自体を認めていることに繋がり、
安心感を与え、信頼を強くする効果がある、
というものです。
だから、
「目をみての挨拶」
「いつも頑張ってくれてありがとう」
というものは”存在の承認”となるので
とても大事なリーダーの行動である、
と言われています。
*
そして、この
「存在の承認」という話を考えた時に、
私が働いていた会社の社長が言っていた
ふとした言葉をいつも思い出します。
、、、ということで、前置きが
ものすごく長くなってしまいましたが、
今日はそのお話について
皆様にご共有させていただくと共に、
学びと気づきをお伝えできればと思います。
タイトルは、
【その人そのものを認める「存在の承認」こそが、隠れていた可能性を引き出す】。
それでは、どうぞ。
■私(紀藤)の話で恐縮ですが、
20代半ばから30歳まで
6年間働いた採用コンサルの会社があります。
リクルート系で
がっつり営業をしていました。
(ビル倒しとか。最上階から
ひたすら飛び込みをしていく)
そこで自分の営業としての
基礎体力を鍛えていただき、
そして今に繋がっているので
ただただ感謝しかなく、
「若い頃の苦労は買ってでもせよ」
ということを教えてくれた会社だなあ、
と今振り返っても思います。
■、、、とはいいつつ、
入社したばかりの頃は、
よくあるように右も左もわからず、
元来の自己啓発オタクっぷりが出ていたこともあり
おそらく当時は、
「威勢がいいことをいう割に、
社内のルールは守らないし、
結果もさほど出ていないイタい奴」
というのが、
自分の立ち位置であったように思います。
そして実際、成績も中途半端な状況で、
いわゆるうだつの上がらない営業でした。
■しかし、
自分で言うのはなんですし、
言い訳くさいですが、
”できないなりに頑張っていた”
わけです。
でも、結果が出ていないと
当たり前ですが認めてもらえない。
正直、上司からもぞんざいに
扱われている感が、やっぱりありました。
■ただ営業の成績とは、
お客様の偶然の出会い、とか、
時の運のごとき要素も、
少なからずあります。
その流れに乗れると、
一気に飛翔できるし、
そうでないと、なかなか
羽ばたく機会が訪れなかったり。
■そんな中、
一社のお客様との出会いで、
連鎖的にこれまでの取り組みが花開き、
それ以来、
・MVPに表彰されたり、
・新しい取り組みとしての仕事を表彰されたり、
・昇進をしたり、
評価をされる機会が
急激に増えていったのでした。
■そうすると、口々に
不思議と称賛の言葉をもらいます。
四半期締めの懇親会でも、
先輩から、
「お前、変わったなあ」
とか、上司から、
「紀藤、化けたよね」
とか、同僚・後輩から
「紀藤さん、すごいっすね」
など、称賛・承認の言葉をもらいます。
それはそれで
やっぱり嬉しいのです。
■、、、でも一方
自分の中では、
もう一つの想いもあったのでした。
(結局、「結果」が出たときに、
人は対応が変わるんだな、、、)
という、ちょっと冷めた思いでした。
なぜならば、
自分はタイミングが合っただけ、
お客様とのご縁があっただけで、
それ以外の自分の内面としては
そんなに大きく変わったとは思っていなかったからです。
■ただ、その中で
懇親会で社長は、違うことを
言ってました。
みんなで机に座り
やや通りところにいた、
自分を採用してくれた社長は
別に声を張るわけでもなく、
「いや、別にこいつは変わってねーよ。
元々こういう奴だったんだよ」
と、さらりと口にしたのでした。
■それを聞いた時に、
自分の鼓動が強く打った気がしました。
ちょっと大げさかもしれませんし、
ただの勘違いだったかもしれません。
でも、
「自分の表面ではない、
奥にある本質を見てくれていた人がいる」
「自分のそのものや、
まだ見えていない可能性を信じてくれていた」
と思えたことは、
じんわりと温かいものが
心の中に広がった気がしました。
そして自分のことを、
もっと信じられるような気がしました。
その言葉は、それ以来、
時折思い出す、今も自分を支えてくれる
言葉の一つになっています。
■まだ「何者でもない」ときに、
その人を承認することは、大変かもしれません。
「一緒にいてくれてありがとう」
「頑張っているから必ず芽が出る」
「あなたには可能性がある」
と、存在を認め、
結果出ていないときでも信じ続けること。
簡単なようでいて、
なかなかできないことだと思います
■人は社会や組織に所属し、
”特定の目的を
共に果たすために集まった”
側面も多分にあるわけですから、
特にビジネスにおいては
合理的になりがちだ。
ゆえに
”結果が出るから認める”(=結果の承認)
は、間違っていることでもないのでしょう。
■ただ、それでもなお、
人は、
”結果が出たからすごい、
という条件付きの愛”
を超えたものを求めている側面も、
やはりあるのでは、と思うのです。
それが今言われる、
「心理的安全性」
「信頼」
というキーワードに
繋がっていると感じます。
■そして、人は、
”存在の承認”によって
”無条件の愛情と、可能性に対する信頼”
を感じた時に、
自己肯定感も高まり、
自分の可能性を信じられ
より挑戦をし、結果を出すことにも
繋がるのではないか…
と私は感じています。
■”存在の承認”を土台に持ちつつ、
結果も求めていく。
それ”だけ”でいいとは
決して思いませんが、
いずれにせよ、その人の深い部分と
存在を認めるとの大切さについて
改めて感じています。
ゆえに、
【その人そのものを認める「存在の承認」こそが、可能性を引き出す】
そんなことを思った次第です。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
本日も皆さまにとって、素晴らしい1日となりますように。
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<本日の名言>
人は自分の承認無しには満足できない。
マーク・トウェイン
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