メールマガジン バックナンバー

2579号 2021年3月13日

「お金を受け止める器」とは何か

(本日のお話 2014字/読了時間2分半)

■こんにちは。紀藤です。

昨日金曜日は、2件のアポイント。

また夜は、『鎌倉投信』を
立ち上げた新井和宏氏による、

「お金の本質行動学」

の勉強会への参加でした。

※参考バックナンバー↓↓
今週の一冊『共感資本社会を生きる ―共感が「お金」になる時代の新しい生き方』
https://1lejend.com/b/detail/HSfoIRnMfw/3782091/



最近、

「お金とは何か?」

を考えることに
少しハマっております。

この問いは、実に奥深く、
自分の幸福度を高く保つために、

必要不可欠なテーマであると
すでに感じております。

今日はこの「お金とはなにか?」を題材に、
勉強会の学びと気づきを
皆さまにご共有させて頂ければと思います。

それでは早速まいりましょう!

タイトルは、

【「お金を受け止める器」とは何か】

それでは、どうぞ。

■「お金」とは、
実に興味深いものです。

今回のメルマガのように、
「お金」というタイトルがつくだけで、

不思議なものでメルマガの
開封率も上がります。

人を惹きつけてしまう
何とも言えぬ魅力があるのでしょう。

(私もなんだかんだ、
このテーマは気になってしまいます)

■「お金」ほど、
多様な意味を持つ言葉は、
存在しないかもしれません。

実際、勉強会でも

「Q,あなたにとって
お金のイメージとは?」

という問いを皆で考えました。
すると

・価値を測るもの
・コミュニケーションの手段
・エネルギーである
・もろ刃の剣のようなもの
・人を狂わせるもの
・余裕を持てるもの
・必要なものを購入するもの
・安心を得るもの
・人を惑わすもの

、、、他、

実に多様な表現で
言い表されました。

■面白いのが、

プラスの意味を持つこともあれば、
マイナスの意味を持つこともある。

プラスは安心や価値ですが、
マイナスは「狂気」に繋がる。

宝くじにあたった人が
幸福度が高まるかと言うと

むしろ破産をしてしまった、、、
なんて話も聞くように、

その身を豊かにする一方
その身を滅ぼしてしまうものでもある。

では、どんなときに

「人を狂わせるのか?」

あるいは、

「自分を含め、誰かの幸せに繋がる
使い方ができるのか?」

この分岐点は、
実に興味深いものがありそうです。

■そんな文脈を経て
昨日の勉強会では、

『「お金を受け止める器」のイメージとは?』

なる議題でディスカッションをしたのでした。

、、、

結論からお伝えしてしまうと、
その勉強会では1つの捉え方として
以下の見方を提示してもらいました。

それがなるほどな、と思うものでした。



まず、「お金を受け止める器」には、
2種類ある。

1つ目は、

【「利己」のお金の器】

です。

言葉通り、
自分を満たすための「お金の器」。

「お金」というのは
価値交換機能があります。

ゆえに必要なもの、望むものを
手に入れることができる。

しかし、取扱い注意の
”器”でもあるのがこの利己の器。

■というのも、

お金を持っている=偉い、すごい

というように

”お金をたくさん持つことそのものが、
「幸福」である”

と勘違いしやすく、

お金に対して盲目的かつ、
思考停止状態になった場合、

「お金が増えれば増えるほど、
もっと欲しくなってしまう」

という気持ちになるだけだから。

・自分にとって、
活きたお金の使い方とはなにか?

・そのためにどれだけあれば
幸せと言えるのだろうか?

と、自分の人生の幸福度を
成り立たせる要素を真摯に考えてみないと、
まさに「お金の奴隷」になってしまう、

ということ。

これまた、納得です。

■そして、この
「「利己」のお金の器」のサイズ
(人によって違います)を、

どのレベルで満たされるか把握して
きちんとコントロールできるようになり、

その上でお金を集めると、
そこから溢れたお金については、

【「利他」のお金の器】

へと流すことができます。

「利他」とは自分以外のもののこと。

家族のためであり、
友人のためであり、
地域のためであり、
社会のため。

そんなお金の使い方。

いわゆる、”寄付”とか、
あるいは、クラウドファンディングのように、

”誰かを応援するためのお金”

になります。

■ゆえに、

1)自分にとって活きたお金の使い方を知ること
(「利己のお金の器」のサイズを正しく知ること)

2)その上でお金を稼ぎ、
溢れた分は、利他のお金の使い方として周りに還元し、
循環させることができるイメージを持つこと

これが、

「お金を幸せに受け止める器」

の一つのイメージではないか、

、、、

そんなお話を聞き、
納得したのでした。

■ここで、もう一つ
考えたいことがあります。

少し哲学的ですが
大切な問いです。

それは、

”「利己」と「利他」の境は、
いったいどこにあるのか?”

という問いです。

「利己」も、

自分=自分とみたら、
自分のためが、利己になります。

家族=自分とみたら、
自分であり家族は、利己になります。

友達=自分とみたら、
自分と家族と友達は、利己になる、

となります。

、、、とすると

「自分以外の人のことを、
自分ごとのように愛せるようになったとき、
”利己”の範囲が広がる」

といえるのでしょう。

■これまた抽象度の高い話ですが、
以前、私がお世話になった師から、

”「無私」とは、自分を大きくすることである”、

と学んだことがあります。

自分を犠牲にする、なくすことが
「無私」ではない。

自分を大きくして、
自分と相手を同等に、
愛せるようになること、

そうしたときに

「利己」と「利他」の壁がなくなり、

「お金」の使い方にも、
それは影響していくことになります。

もしそれが現実にできたなら、
他者のために使う”贈与経済”も、
自分ごととなっていくでしょうし、

実際に、お金の勉強会では
そのような「共感資本社会」、
という新しい形も提案されています。

お金の新しい形につながる未来。

そんなまだ見ぬ社会にも
繋がり得ると言えるのでしょう。

■ESG、SDGsや、

資本主義→社会主義の考えが
アメリカの若者の中で広がっていることからも、

「成長」だけが是ではない考えが
少しずつ注目されてきています。

「お金と幸福の関係性」についても、

改めて考えることが、
我々に求められるリベラルアーツの
一つではなかろうか、、、

そんなことを思った次第です。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
本日も皆さまにとって、素晴らしい1日となりますように。

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<本日の名言>

他の富めるをうらやまず、
身の貧しきを嘆かず。

小林一茶(江戸時代の俳人/1763-1828)

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