メールマガジン バックナンバー

2588号 2021年3月22日

自分について語ることは恥ずかしい。ただし、価値もある ー心理学者ブルーナーの視点からー

(本日のお話 2659字/読了時間3分)

■おはようございます。紀藤です。

昨日日曜日は、
父母姉と従兄弟・おばと銀座でランチ。

自宅にて赤ちゃんを紹介し
遊んでおりました。

生後2ヶ月のぬいぐるみのような
息子を紹介できて幸せな時間でした。



さてさて、本日のお話です。

今日は、私の”最近の葛藤”からの学びを
テーマにお話したいと思っております。

それは一言でいうと

”自己開示の抵抗感”

でしょうか。

特にこの思いは、
「大学院受験の前と後」において、
より強く現れるようになりました。

ただ、一連の内省の中で、改めて

「自分のことを語る価値」について
学びと気付きがありましたので
そのお話について皆さまに
ご共有させて頂ければと思います。

それでは早速まいりましょう!

タイトルは、

【自分について語ることは恥ずかしい。ただし、価値もある
ー心理学者ブルーナーの視点からー】

それでは、どうぞ。

■「よくあれだけ自分のことを
メルマガでさらけ出せますよね」。

今から6~7年前、
メルマガを初めて1~2年くらいのとき、
読者の方から言われた言葉です。

その時は、

「いえ、別に、自分のことをネタとして
語ることには抵抗感はないですね」

なんて答えましたが、

最近、その言葉を
非常に考えさせられます。

■最近読んだ本では、

「自分のことをネタに発信することは、
ある意味恥ずかしいことと思う」

(自らの取るに足らない経験を価値あるものと
自分自身が見ているという意味で)

という視点で著者が
”自分語り”について書いていました。

■確かに、”自分のこと”を語るのは、
色々な抵抗感があります。

私も恥ずかしげもなく
今も昔もメルマガで発信してきましたが

特に最近、自分のこと語りの恥ずかしさを、
感じるようになってきました。

まるで思春期の中学生のよう。

きっかけは、

「大学院受験で
リーダーシップなどの骨太の理論を
勉強したから」

でしょうか。

■本を読んでみると、

世界中の数多の研究者が
たくさんの智慧を時間を投資した、

様々な理論があることを知りました。

それは、自分がこれまで語ってきた

”「こう思う」という自分(紀藤)の持論”

など、比較もしようもないと感じる
圧倒的な解像度で、
実証研究も含めて、汎用的な理論へと
昇華してきた事実を知りました。

■その理論の存在を知ってからというもの

”「自分はこう思う」という持論”

が急に色あせて感じるようになりました。

■そうすると、

「自分の取るに足らない経験を語ることは
価値がないことではないだろうか。」

と思う不安、恥ずかしさが膨らみます。

そして、6~7年前に言われた言葉

『よくあれだけ自分のことを
メルマガでさらけ出せますよね』

という言葉とリンクをして、
自分を語る恥ずかしさ、抵抗感が、

ますます大きくなってきたのでした。

(なので、最近はどちらかと言うと

「リーダーシップ理論によると
こういう事が言われている」

という理論とか本の引用を語ることに偏っていたのが
私のメルマガの傾向でした)

■、、、しかし、事実は1つではないもので、

別の読者の方に最近、
こんな感想をいただきました。

「理論も面白いですけど、
個人的には、紀藤さんが悩み葛藤している
そのプロセスを見るのが面白いです」

、、、と。

え、そうなの?
でも確かに、そうかもしれない。

思い出してみると、
かつて皆さんからのリアクションが
大きかったメルマガは、

”自分のリアルな心の葛藤を
そのままさらけ出したもの”

のほうがより
響いていた感じがしました。

■確かに、”自分をさらけ出す”ことは
リスクもはらむものです。

どういうことかと言うと

”自分の率直な思いを語ると
メルマガの解除が増える”

のです。

「自分と考えが違う」
「個人的な話は聞きたくない」
「有益な情報だけほしい」

という読者の方の声なき声なのかもしれません。

ただ言えることは、

『「自分をさらけ出す」という行為は、
人を近づけもするし、遠ざけもするもの』

と言えそうです。

■確かに、

「誰も傷つけないし、
否定もしようのない理論」

は、安定感があります。

そして、それらの理論は
役に立つものもありますので
十分に価値になります。

ただ、一方で、

”自分はこう思う、こう感じる”

という、

自分の中の感情の動き、
リアルさ、生っぽさも、

それはそれで価値を持つもの。

無味乾燥な事実とは違う
”迫真性”というな説得力があるのです。

■、、、とここまで、

私のメルマガを
発信する中での心の動きを
つらつらと書かせていただきました。

ここまでをまとめると

「自分をさらけだしてきたメルマガであった」

「ただ、大学院受験で”理論の価値”を感じ、
自分をさらけ出すことの抵抗感が生まれた」

「でも、さらけ出しも価値がある
とも気づいた」

と、気持ちと思考の揺れ動きの
お話をしてきたわけです。

結論としては、

『「理論」も「自分をさらけ出す」ことも、
それぞれの価値がある』

という話ですが、

ここから少し学びへと
落とし込んでいきたいと思います。

■この話は、実は

心理学者ジェロム・ブルーナーの
ある話を当てはめて考えると、

皆さまの学びへと活用できそうです。

ブルーナーは、

”人間の根源的な認識は
2つの思考様式(考え方)が存在する”

としました。

一つ目の考え方が、

『論理―科学様式(=パラグマティックモード)』

です。

・普遍的な真理性と論理的一貫性を求める
・簡潔な分析・理路整然とした仮説を導く思考様式

と説明しました。

「大学院で学ぶような理論が大事!」
パターンです。

■他方、それとは違う考え方が

『物語様式(=ナラティブモード)』

です。

・「もっともらしさ(迫真性)」を求める。
・人間の意図や行為、人間の体験する苦境やドラマを含む
出来事の変転を取り扱う考え方。

つまり、
「体験からこう思った!」という
リアルさを大事にしたい

パターンです。

■人は、

『論理―科学様式(=パラグマティックモード)』

または、

『物語様式(=ナラティブモード)』

双方から物事を理解する、説得される
とブルーナーは言うわけです。

■ただし、どちらのほうが重視されるかというと

「論理ー科学様式」のほうが
現代の世の中では説得力がある、と言います。

”論理・理論が是”

とされる傾向がある、ということ。

ただし、心理学者ブルーナーは

「2つのアプローチはどっちも大事。
それぞれ合わせて使うべき」

「そして、物語的的思考様式は
軽視されがちだけどとっても大事」

といいました。

■「自分のことを語る価値」。

これは物語的アプローチです。

自分のことを語るのは、
恥ずかしさもあるし、時に抵抗感もある。

でもその経験や生の体験から出てきた
リアルな言葉は人を動かすのです。

理路整然とした理屈も良い。

ただ、自分が何を経験して
どのような教訓を得たのか。

それを、他者に語ること。

その行為がもたらすインパクトは
時に論理を超える迫力をもたらしえます。

私自身、メルマガを書いていて
本当に心から書き記した文章には、
なにかしらの迫力が宿る、と感じます。

■メルマガも、どこかで読んだ理論を
そのまま引用するのは実は楽。

ただ本当に誰かの心を
震わせることができるのは

”自分自身の言葉を紡いだ時”

なのです。

そしてそれはその瞬間瞬間、
一生懸命生きて、
一生懸命考えていないと

言葉には心がこもらないので
すぐ見透かされてしまいます。

「自らを語ることとは
常に自分の生き方を問われること」

とも言えるのかもしれません。

■、、、と長々と語ってしまいましたが、

【自分について語ることは恥ずかしい。ただし、価値もある】

このことを、

私自身の体験と、
そして心理学者ブルーナーの話から

お伝えさせていただいた次第。

自分の言葉を、大切にしたいものですね。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。
本日も皆さまにとって、素晴らしい1日となりますように。

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<本日の名言>

人間である限り、誰でも過ちは犯すものである。
そんなとき賢者や善人は、自分の過ちや失敗の中から
社会や未来に有益な智慧を学び取るものである。

プルタルコス(古代ローマの著述家/45-120)

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