自分について語ることは恥ずかしい。ただし、価値もある ー心理学者ブルーナーの視点からー
(本日のお話 2659字/読了時間3分)
■おはようございます。紀藤です。
昨日日曜日は、
父母姉と従兄弟・おばと銀座でランチ。
自宅にて赤ちゃんを紹介し
遊んでおりました。
生後2ヶ月のぬいぐるみのような
息子を紹介できて幸せな時間でした。
*
さてさて、本日のお話です。
今日は、私の”最近の葛藤”からの学びを
テーマにお話したいと思っております。
それは一言でいうと
”自己開示の抵抗感”
でしょうか。
特にこの思いは、
「大学院受験の前と後」において、
より強く現れるようになりました。
ただ、一連の内省の中で、改めて
「自分のことを語る価値」について
学びと気付きがありましたので
そのお話について皆さまに
ご共有させて頂ければと思います。
それでは早速まいりましょう!
タイトルは、
【自分について語ることは恥ずかしい。ただし、価値もある
ー心理学者ブルーナーの視点からー】
それでは、どうぞ。
■「よくあれだけ自分のことを
メルマガでさらけ出せますよね」。
今から6~7年前、
メルマガを初めて1~2年くらいのとき、
読者の方から言われた言葉です。
その時は、
「いえ、別に、自分のことをネタとして
語ることには抵抗感はないですね」
なんて答えましたが、
最近、その言葉を
非常に考えさせられます。
■最近読んだ本では、
「自分のことをネタに発信することは、
ある意味恥ずかしいことと思う」
(自らの取るに足らない経験を価値あるものと
自分自身が見ているという意味で)
という視点で著者が
”自分語り”について書いていました。
■確かに、”自分のこと”を語るのは、
色々な抵抗感があります。
私も恥ずかしげもなく
今も昔もメルマガで発信してきましたが
特に最近、自分のこと語りの恥ずかしさを、
感じるようになってきました。
まるで思春期の中学生のよう。
きっかけは、
「大学院受験で
リーダーシップなどの骨太の理論を
勉強したから」
でしょうか。
■本を読んでみると、
世界中の数多の研究者が
たくさんの智慧を時間を投資した、
様々な理論があることを知りました。
それは、自分がこれまで語ってきた
”「こう思う」という自分(紀藤)の持論”
など、比較もしようもないと感じる
圧倒的な解像度で、
実証研究も含めて、汎用的な理論へと
昇華してきた事実を知りました。
■その理論の存在を知ってからというもの
”「自分はこう思う」という持論”
が急に色あせて感じるようになりました。
■そうすると、
「自分の取るに足らない経験を語ることは
価値がないことではないだろうか。」
と思う不安、恥ずかしさが膨らみます。
そして、6~7年前に言われた言葉
『よくあれだけ自分のことを
メルマガでさらけ出せますよね』
という言葉とリンクをして、
自分を語る恥ずかしさ、抵抗感が、
ますます大きくなってきたのでした。
(なので、最近はどちらかと言うと
「リーダーシップ理論によると
こういう事が言われている」
という理論とか本の引用を語ることに偏っていたのが
私のメルマガの傾向でした)
■、、、しかし、事実は1つではないもので、
別の読者の方に最近、
こんな感想をいただきました。
「理論も面白いですけど、
個人的には、紀藤さんが悩み葛藤している
そのプロセスを見るのが面白いです」
、、、と。
え、そうなの?
でも確かに、そうかもしれない。
思い出してみると、
かつて皆さんからのリアクションが
大きかったメルマガは、
”自分のリアルな心の葛藤を
そのままさらけ出したもの”
のほうがより
響いていた感じがしました。
■確かに、”自分をさらけ出す”ことは
リスクもはらむものです。
どういうことかと言うと
”自分の率直な思いを語ると
メルマガの解除が増える”
のです。
「自分と考えが違う」
「個人的な話は聞きたくない」
「有益な情報だけほしい」
という読者の方の声なき声なのかもしれません。
ただ言えることは、
『「自分をさらけ出す」という行為は、
人を近づけもするし、遠ざけもするもの』
と言えそうです。
■確かに、
「誰も傷つけないし、
否定もしようのない理論」
は、安定感があります。
そして、それらの理論は
役に立つものもありますので
十分に価値になります。
ただ、一方で、
”自分はこう思う、こう感じる”
という、
自分の中の感情の動き、
リアルさ、生っぽさも、
それはそれで価値を持つもの。
無味乾燥な事実とは違う
”迫真性”というな説得力があるのです。
■、、、とここまで、
私のメルマガを
発信する中での心の動きを
つらつらと書かせていただきました。
ここまでをまとめると
「自分をさらけだしてきたメルマガであった」
↓
「ただ、大学院受験で”理論の価値”を感じ、
自分をさらけ出すことの抵抗感が生まれた」
↓
「でも、さらけ出しも価値がある
とも気づいた」
と、気持ちと思考の揺れ動きの
お話をしてきたわけです。
結論としては、
『「理論」も「自分をさらけ出す」ことも、
それぞれの価値がある』
という話ですが、
ここから少し学びへと
落とし込んでいきたいと思います。
■この話は、実は
心理学者ジェロム・ブルーナーの
ある話を当てはめて考えると、
皆さまの学びへと活用できそうです。
ブルーナーは、
”人間の根源的な認識は
2つの思考様式(考え方)が存在する”
としました。
一つ目の考え方が、
『論理―科学様式(=パラグマティックモード)』
です。
・普遍的な真理性と論理的一貫性を求める
・簡潔な分析・理路整然とした仮説を導く思考様式
と説明しました。
「大学院で学ぶような理論が大事!」
パターンです。
■他方、それとは違う考え方が
『物語様式(=ナラティブモード)』
です。
・「もっともらしさ(迫真性)」を求める。
・人間の意図や行為、人間の体験する苦境やドラマを含む
出来事の変転を取り扱う考え方。
つまり、
「体験からこう思った!」という
リアルさを大事にしたい
パターンです。
■人は、
『論理―科学様式(=パラグマティックモード)』
または、
『物語様式(=ナラティブモード)』
双方から物事を理解する、説得される
とブルーナーは言うわけです。
■ただし、どちらのほうが重視されるかというと
「論理ー科学様式」のほうが
現代の世の中では説得力がある、と言います。
”論理・理論が是”
とされる傾向がある、ということ。
ただし、心理学者ブルーナーは
「2つのアプローチはどっちも大事。
それぞれ合わせて使うべき」
「そして、物語的的思考様式は
軽視されがちだけどとっても大事」
といいました。
■「自分のことを語る価値」。
これは物語的アプローチです。
自分のことを語るのは、
恥ずかしさもあるし、時に抵抗感もある。
でもその経験や生の体験から出てきた
リアルな言葉は人を動かすのです。
理路整然とした理屈も良い。
ただ、自分が何を経験して
どのような教訓を得たのか。
それを、他者に語ること。
その行為がもたらすインパクトは
時に論理を超える迫力をもたらしえます。
私自身、メルマガを書いていて
本当に心から書き記した文章には、
なにかしらの迫力が宿る、と感じます。
■メルマガも、どこかで読んだ理論を
そのまま引用するのは実は楽。
ただ本当に誰かの心を
震わせることができるのは
”自分自身の言葉を紡いだ時”
なのです。
そしてそれはその瞬間瞬間、
一生懸命生きて、
一生懸命考えていないと
言葉には心がこもらないので
すぐ見透かされてしまいます。
「自らを語ることとは
常に自分の生き方を問われること」
とも言えるのかもしれません。
■、、、と長々と語ってしまいましたが、
【自分について語ることは恥ずかしい。ただし、価値もある】
このことを、
私自身の体験と、
そして心理学者ブルーナーの話から
お伝えさせていただいた次第。
自分の言葉を、大切にしたいものですね。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
本日も皆さまにとって、素晴らしい1日となりますように。
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<本日の名言>
人間である限り、誰でも過ちは犯すものである。
そんなとき賢者や善人は、自分の過ちや失敗の中から
社会や未来に有益な智慧を学び取るものである。
プルタルコス(古代ローマの著述家/45-120)
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